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実は日本の医療は先進国で最低だ







母は学校の先生を父に持ち、体の弱い母がいた。一人の姉と一人の弟と一人の妹がいた。つまり四人兄弟の上から二人目だったのだ。
 母の母、つまり私の祖母はガンで早死にしたのだった。母は自分の母が子供の成長を見られないことを悔やしがっていたらしい。死を予想して、一人泣き続ける自分の母をこっそり見ていたそうである。







 母の姉は勉強が良くできたらしい。しかし、母は勉強が苦手であり、それ故に公立の高校には行けなかったらしい。例によって学制が違うので、当時は高校と呼ばずに高等女学校、略して高女と呼んでいたようだ。






 母の姉は勉強が出来たので、難なく公立の高女に進んだ。母の父は学校の先生であり、それ程の給料が貰えたわけではなかった。当時の給料がいくらくらいであったのか、私には想像も出来ないが苦しいことは容易に想像できる。四人の子供を育てながら病気の妻の治療費がかさむのだ。とても家を買う余裕などある筈もなく、事実借家で暮らしたらしい。只、厳密に言うと、家だけは自力で建てたらしかった。土地が借地であり、自分の息子の死後は家を取り壊すという条件で家を建てたらしいのだ。













恐らく出来れば自分の土地で家を建てたかったと思うのだが、借地で家を建てるのが限界だったようだ。子供の頃の私は、そんなことも知らずに私の家と同じように叔父も自分の家で暮らしていると思い込んでいた。叔父の家が父親から譲られたものであり、地代を払っていた事実は叔父が他界した後で、叔父の息子、つまり私のいとこから初めて聞かされたのだった。









 つい先日、不意に昔訪れた叔父の家が懐かしくなり、訪ねてみれば、駐車場になっているのを見て、随分悲しい思いをしたのだった。実は叔父には私と同い年の娘がいて、とても可愛くて私が何度か遊びに行っていた。正直に言って、おそらく初恋の相手だったのではないだろうか。私が訪問するといつも叔父は歓迎してくれていた。実家にいるよりもはるかに楽しくて、しかも、思いを秘かに抱いていたいとこがいた叔父の家。間取りもはっきりと覚えている。











「晴美ちゃんに会いたいな」
胸をときめかせながら、訪れた叔父の家。しかし、今では単なる土地に変わっていた。すごく淋しかった。話題をそらして申し訳ないけれど、ついつい触れずにおれなかった。
 そのように母の実家は決して裕福ではなかった。しかし、母は学力不足で、公立の高女の入学試験に合格出来なかった。










母は、そのまま就職することを考えていたのだが、母の父は、
「やはり、高女に行った方が良い。お金が掛かっても良い。私立の高女に進みなさい」
 そう言ってくれた自分の父に涙を流して感謝して、心に決めたそうだ。
「志津さんは、勉強が出来て公立の高女に行った。私はお金の掛かる私立に進んだ。家事をするのは私の義務だ」









 志津さんと言うのは、母の姉でありどうも母の実家では「お姉さん」などの差別表現は使わなかったらしい。母が高女に進んだ時には、既に母の母はガンで他界しており、自分の母に変わって全ての家事をこなしていたらしい。当時は洗濯機も炊飯器もなく全ての家庭の洗濯を母一人で手洗いでこなしていたらしいのだ。









 実際,母の弟つまり私から見て叔父が良く言っていた。
「由紀さんは全部してくれた。ホンマに有難かった。志津さんなんか何もしてくれなかった」
 私は可愛い同い年のいとこに会う為に叔父の家を訪れると、良く昔話をしてくれた。母は自分の為に高価な授業料を払ってくれた父に答える為に、進んで全ての家事をこなしていたのだ。それを自分の義務と考えていたのだ。










 多分、法事だろう。私の実家で、親戚一同の前でその叔父が自分の母親の悪口を言っていた。
「本当に無責任な奴や。子供の世話もせずに、さっさと死んだ」
 母が言った。








「そんなことを言わないで。お母さんは一人で泣いていたのよ」
 叔父さんは反論した。
「泣くことは誰でも出来るわ。子供を育てられなくてどうすんね」
 その時、母が怒った。








「晋、良い加減にしなさい」
 母が叔父を名前で呼んだのを初めて見た。その衝撃は子供なりに伝わり、今でも明確に覚えている。怒られた叔父は、
肩をすくめて、
「由紀さんが怒った。怖いな、怖いな。もう何にも言われへん」









 その会話を聞いていた時は、大人の冗談のようにも思えていた.しかし、大人になり家事がどれ程大変か理解する内に、母の決意が分かるようになってきた。
 本来なら、年上の母の姉が母代わりになるのが自然だろう。









しかし、母の姉もまた、自分の妹である母に家事を任せて平気だったらしい。母が感じていたと同様に、母の姉も感じていたのではないだろうか。
「お金の掛かる私立の高女に進んでいるのだから、家事をするのは当然に妹の役割である」
 その叔父や母の妹の進路については、全く聞く機会がなかった。









しかし、叔父は公立小学校の校長先生になったので、それなりの学歴があったのだろう。
 ともかく、母が自分の実家の家事を一切引き受けていたことは確かなようだ。母は喜んで実家の家事をしたのだろうか。家事は辛いものである。








それは現代よりもはるかに過酷だったはずだ。現代の若い女性に全く電気製品を使わずに、家事が出来る人はどれだけいるのだろうか。過酷な家事をしながら、自分にいつも言い聞かせていたのである。







「姉は勉強ができる。自分は勉強が出来ない。だから家事は私の務めである」
 そんな環境で育った母が、学力で絶対の自信のある父と結婚したのであった。しかも、美人の母は二人の先妻の子供がいる父の後妻になるのである。母が何歳で結婚したかと言うと、二十九歳の時であり、当時としてはとても晩婚である。









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そう言えば、父は常に勉強していた。高価な本を取り寄せて、勉強していたことも覚えている。私が尋ねたことがあった。
「お父ちゃんでも勉強するの?」
その時には父の機嫌が良かったのだろう。珍しく私にやさしく答えてくれた。







「治療が分からない患者さんがいんね。一番良い治療を考えんとあかん。間違った治療をしたら可哀そうやろ。新しい治療も勉強せんとあかんのや」
 私が聞いた。
「たった一人の患者さんの為に本を買って損とちゃうの?」
父は明確に答えた。






「損に決まってる。そやけど、出来ることは何でもしたげる。それが医者や」
 そう言えばこんなことも言っていた。
「医者で本を書いたりしてる奴がいるけど、そんな暇があるんやったら、患者の治療にもっと努力せえ」
 ある意味で父は完全主義者だったのかもしれない。父にすればあの森鴎外でさえ、医者の片隅にも置けないと思っていたのかもしれない。











作家を諦めて、医者を志した以上患者の治療以外に目を向けてはならないと信じていたかもしれない。
 ともかく、父はそのように生きてきた。完全主義者であり、そして常に完全を期待して、その期待は当然に子供に向けられていたかもしれない。正直、子供はしんどくて堪らないのだが。









 父が結婚すると、二人の子供が出来た。男の子と女の子であった。つまり私の長兄と姉である。しかし、二人の母親つまり父の妻は体が弱く、早死にしたそうだ。しかし、その事実は全く知らされなかった。私の長兄と姉が実は母親が違うことを知ったのは、私が高校生になってからだった。何も秘密にすることはないと思うのだが、完全主義者の父には全ての子供が同じ母親であることを装いたかったのだろうか。







母もまた、父の方針を素直に受け継いだのだろうか。母が先妻の子供を私達と全く同じように育てていた。少なくとも、私には出来ないことである。私なら生まれた時から事実は事実として、率直に子供たちに伝えていただろう。母は全く差別していなかった。









それどころか、私にだけ冷たく当たっていた。多分、長兄の目を気にしていたのだろう。無意識にか、ひょっとすると意識的に、私に冷たくすることにより、
「ほら、あなたを差別していないでしょう」
そう言いたかったのかもしれない。






他人の目を常に意識するのは母の常だった。近所の人でも母が実は後妻であったことを知っていた人は誰もいなかったのではないだろうか。誰もが母が五人の子供を産み育てたと思っていただろう。
 どこから母の性格は出来たのだろうか。今度は母のルーツを探りたい。何度も言うように私の気が狂ったことに対する原因の追求であり御参考にして頂ければ有り難い。






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そのような家庭にあって、父は私から遠い存在であった。三男である。一人息子として生まれた父には私の立場が分からない。何度も言うように
「長男は必要だ。中野家を守るのだ。次男はスペアだ。必要があるかもしれない。お前は何の必要もない」
私の気持ちなど考えることもなかった。次兄はその言葉に甘えて私をいじめた。








しかし怒られるのは常に私だった。
「兄に逆らうお前が悪い」
小さい子供は調子に乗ると親の言葉をそのまま信じるのだ。私は自殺を考えなかった。常に思っていた。







「誰からも愛されず、誰も愛さないのは淋しすぎる。私も誰かを愛したい。誰かから愛されてから死にたい」
喧嘩の弱い私は家でも学校でもいじめられた。






父の職業も素晴らしい。実際、父は恐らく名医であったのだろう。事実、当時に他の医者で見放された患者にも心血を注いで治したようだった。私の経験でこんなことがあった。
私の小学一年か二年のことだった。例によって、子供の意地悪が始まっていた。金山君と言う喧嘩の強い同級生がいた。金山君は私をこう呼んだ。








「おい、やぶ医者」
やぶ医者、今ではその名を知らない人も多いかもしれない。やぶ医者とは事実上、患者を治す力のない医者を表現する言葉なのだ。私の父が医者なので、私をからかってそう呼んだ。
家に帰ってその事実を母に言った。母は間髪を入れずに答えた。







「金山君は本当は死んでいたのよ。他の医者全てに断られて、お父ちゃんだけが治してあげたのよ」
よほど腹が立ったのか、金山君のお母さんに母が言ったそうだ。母が私に後日言った。






「金山君のお母さんに、
『あなたのお子さんが内の子にやぶ医者と言ったようですね』
そうしたら、金山君のお母さんは顔色を変えて、
『○○、お前は中野先生に助けられたのを忘れたのか』
そうすごく怒っていたわ」








数日後、例によって、誰かが私を「おい、やぶ医者」そう言うと、金山君が慌てて言ったのだ。
「おい、そんなことを言うな」
その一瞬で金山君は私をいじめる側からかばうに側に変わったのだ。








前述したように金村君は強かった。私はいじめられるのを救われたのだ。同時に、父が確かに実力がある医者なのだと思った。小学校では実力あるものが支配するのである。





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しかも、自分の父が死んだ後で父の苦悩が始まる。生活が大変だったらしい。私の祖父は多くの借家を持ち、家賃をもらえる筈だったのだが、自分の父の死後に、父が家賃を受け取りに行くと、ことごとく断られたらしい。






「ぼん、払う家賃なんかないわ」
冷たく答えると、わざと家の一部を切り取ると、
「ほら、これをたき火にせんと、暖も取られへんね」
家賃は払ってもらえない。







一方、銀行は、
「早く借金を返してくれ」
と、矢の催促だったらしい。
父は世間の冷たさを知る。本当は大学院に進んで世間に認められる大学の教授になりたかったのだが、お金が続かず、開業したそうだ。








当時は、そもそもどこの病院でも機械などなくて、実力だけの勝負だったそうだ。やがて、患者を診る内に、中古の赤外線の機械を買い、中古のレントゲンの機械も買った。赤外線の赤い光に足を照らしてもらったことは、微かに記憶が残っている。








多分、足に出来たしもやけの治療だったと思う。私の幼い頃は、冬の寒さで誰もがしもやけやあかぎれに苦しめられていた。今の若者には想像も出来ないだろうけれども、冬には子供はもちろんのこと大人もしもやけやあかぎれに悩まされたものだった。






敗戦直後の何もなかった時代だ。
父の大学時代の苦しさは、その後の父の生き方を決めた。
「借金はしてはいけない。銀行ほど冷たいものはない。いざとなると、お金しかあてに出来ない」






また、父には不思議なほど友人がいなかった。誰か友達と会うとか聞いたことがない。その理由も父が言っていた。
「友達なんて必要ない。お父ちゃんは自分の性質で、他人にしてもらったことには、倍にして返す。しかし、友達なんてことごとく、こちらがあげた親切に全く返してくれない。友達なんて全部嘘なんや。友情なんて小説の世界の話なんや」






当時の私は父は運の悪い人なのかな、そう思っていた。私はずっとたまたま父が出会う人達が悪い人ばかりなのかとも考えていた。
しかし、今の私ははっきりと分かる。それが分かるのはずっとずっと後で、実に私が七十歳を超えてからだった。








後にそれについて解説できる機会があるかもしれないが、父の欠点を知ったのは、村田さんを見てからだった。村田さんは公立高校から現役で京都大学の医学部にストレートで入り高校時代には物理の先生には「君はノーベル賞を貰える」と言われたそうだ。私はこの村田さんを二度にわたり助けていた。







当時は私にとても感謝していた。しかし先日会うとすっかり忘れていた。人に感謝したことはすっかり忘れるのである。父もおそらく同様なのだろう。他人から受けた親切は忘れるのだ。その結果、村田さんと同じことを言うのである。







すなわち、「友達なんて必要ない。お父ちゃんは自分の性質で、他人にしてもらったことには、倍にして返す。しかし、友達なんてことごとく、こちらがあげた親切に全く返してくれない。友達なんて全部嘘なんや。友情なんて小説の世界の話なんや」








学校の勉強は出来ても他人から受けた親切は忘れてしまい、損ばかりした気になるのである。忘れるのだからどうしようもない。基本的には頭が悪いと思う。学校の勉強は出来ても社会的頭は悪いのである。







父は文才もあった。確かに父はしばしば新聞に投書していた。父は正にスーパーマンであった。何でも出来たのだ。
勉強はもちろん、スポーツも万能で、趣味も完ぺきだった。百人一首の選手にもなったそうであり、事実、正月に行う家庭かるた会では、圧倒的に父がトップであったのだ。









正月には、家庭でトランプ大会もしていたのだが、どんな競技でも、例えばポーカーでも、七並べでも、常に父は断トツのトップだったのだ。囲碁も素人三殿で、チェスの代表にもなったらしい。要するに何でも出来たのだ。







しかしそういう人には欠点もあるのだ。出来ない者の気持ちが分からないのだ。父から見れば母はバカの代表だろう。常に上から目線だった。母は常に劣等感に悩んでいたのだが、上からしか見えない。他人の気持ちが理解出来ないのだ。周りの人を不幸にしているのだが本人は気づかない。それでいて自分は賢いと信じている。困った人なのである。






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まず父の方から、父の父、つまり私の祖父については父が時折語ったことがあった。何でも、相当高い地位にあったらしい。父が良く語っていた。
「中野家は凄い家だ。お父ちゃんのお父ちゃんは大変偉くて、凄く尊敬されていた。お父ちゃんは単なる医者であり、地位が落ちた。お前たちはさらに下で、この成績では中野家のものとは思えない。世代が下りるのに従って、落ちる一方だ」







多分、府会議員だったと思うのだが、昔の府会議員は相当の権力がなければなれなくて、請われてなれるそうだった。父の兄は父よりもずっと優秀であったのだが、病気で他界したそうだ。それだけに事実上の只一人の息子をとても私の祖父は大事にしたようだ。







東京に帝国大学が出来ると、やがて、天皇の所在地の京都にも京都帝国大学が出来た。
その後、父の父は猛烈に運動したそうだ。
「京都に帝国大学が出来て、どうして大阪にないのか」
「大阪にも帝国大学を作るべきである」







私の祖父の運動は彼が相当の地位もあったので、ついに認められて大阪にも大阪帝国大学が出来た。私の祖父はとても喜んで、父に言ったそうだ。






「大阪にやっと帝国大学が出来た。せっかく出来たのだ。お前はその大阪帝国大学に進んでくれ。お前の兄ならきっと入学できただろう。悲しいけれども、死んでしまった。お父ちゃんの希望を継いでくけるのはお前しかいない。医学部が良い。お前には兄のように死んでほしくない。今の時代ではいつ戦争が起こるか分からない。






例え、戦争になっても、医者は常に後方で治療するだけなので、死ぬことはない。万一、敵に捕らえられても、殺される心配はない。大阪帝国大学の医学部を卒業すれば、どこに行っても引けを取らない。何しろ帝国大学の医学部なのだから。兄の分まで長生きしてくれ」







実は、父は文才があり、投書などは常に掲載されていて、作家を志していたのだが、自分の父の強い思いに従わざるを得なかった。それで、忠実にその思いに答えたのだったらしい。実は医者と言う明確な地位があればむしろ、作家の早道ではないかと大人になって気づいたのだ。







実際、医者であり作家である人は多い。しかし、父はどうも医者になると作家の道を捨てることだと信じていたようだった。当時の私は父の言葉をそのまま信じていた。実は医者が作家であることが多いことに、その頃の私には分からなかった。自分の道を捨てて、親の言う通り素直に進んだ父を当時は確かに尊敬していた。






父の説明通りだったとすると、なんか知らないがとてつもない偉い家に生まれたのだろうか?
私は何の自覚もなく他の兄弟と共に、聞いていただけだった。只、他の兄弟と同じように父はとても偉い人なんだなあと素直にその部分は聞いていた。





さて、私の祖父は大変尊敬されていたのだが、死んだ時にはお葬式の時には訪問者は誰もいなかったらしい。父が時折口にしていた。
「人間なんて冷たいものだ。父が尊敬されていると、親しそうに近寄るくせに、地位がなくなると葬式にも来なくなる」








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 ここで、背景となる私の父母について説明してみたい。父母がもしも生きていたら、名誉棄損で訴えられるかもしれない。しかし、どちらも死んでいるのだ。訴えられる心配はない。しかし、或は兄弟達が父母に変わって訴えるかもしれない。私はそれに対してこう反論したい。








「私は気が狂ったのだ。そして、原因を追究しているのだ。これは他の精神病の人々の助けになるかもしれない。精神の病については種々の説がある。しかし、実際に半年以上、精神病院、もっとはっきり言えば気違い病院に入院している人達で後に記録を書いた人など恐らく初めてだろう。これは気違い治療の助けになるかもしれない。十分、社会に貢献できる。何しろ、精神の病に対して、原因に家庭環境を挙げている有力な説があるのである」







 そして付け加えたい。
「私が孤独でただ一人苦しんでいるのに、誰もそれに気が付かなかった。或は見て見ぬふりをしていた。私が成人したのちに気が狂った責任の一端は貴方たちにもあるのではないのか」






 万一、訴えられたら、そう反論したい。
 「お前の両親なんかには、全く興味がない」
 そう思われる方は飛ばして読んで下さい。しかし、昔はそんな家庭環境があったのか。そこで夫婦が出会うと、独特な家庭が出来るのだなあ。と、或は納得して頂けるかもしれない。








それはこれから結婚しようとする若い人々の参考にもなるかもしれない。
 家庭環境を語るにはその中心である両親の背景についての解説が不可欠なのである。






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 私は勉強も出来なかったし、取り柄など何もなかった。とりわけ運動は苦手だった。これには前述のように理由もあった。三歳年上の次兄が、私を外で遊ばせなかったのだ。次兄は幼児の頃から良く外へ出て、近所の友達と夕方まで遊んでいた。私が外へ出ると、次兄は私を連れて家に帰るのだった。







「お前がいると恥ずかしい。家で遊べ」
つまり、私は外へ遊びに行くことが出来なかったのだ。初めて幼稚園や小学校に行った時、他の子供達が誰かと親しそうに話しているのが不思議だった。私以外の人は既に友達がいて、私はなぜ一人なのか全く分からなかった。









何しろ、同年の子供は、私にとって全くの他人だったのだ。どう話して良いのか、接し方が全く分からなかったのだ。
次兄がなぜ私と一緒に遊ぶのが嫌だったのか?
多分、何をやっても自分より劣る弟の存在が恥ずかしかったのだろう。三年の差は大きい。










次兄は弟のことより、自分を仲間の中で低く見られたくなかったのだろう。
それ故、私は男の子に珍しく、体育の授業が一番嫌いだった。球技なども、同級生の殆どはどこかで習っていたのだろう。上手くできていたのだった。私は何をしても、初めての経験であり、良くからかわれた。










「お前は男のくせに、女より運動が出来ないな」
とりわけ、運動会では恥ずかしかった。何時も徒歩競争、当時で言う「走りあい」が常に最下位だった。運動会が近づくといつも頭が痛くなった。







「雨が降って中止になって欲しい」
毎年、毎年、それを祈っていた。次兄は逆に徒歩競争で常にトップであり、私を笑っていた。
「僕は早いのに、お前は何でそんなに遅いんや」
当時は何も言い返せなかった私だが、大人になった今だからはっきりと言える。







「それは全てあなたのせいです」
子供の時には、運動会の前日にはとても憂鬱だった。馬鹿にされると分かっている日々をどうして喜べようか。






そのように体育の時間が嫌でどうして学校を楽しめようか。友達もいない。友達とどう話して良いか分からなかった。学校の存在自体が嫌いだったし、先生も嫌いだった。




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実に今もって不思議である。ドラマを見た時だっただろうか。多分他の兄弟は聞いていないのではないだろうか。時期が全く思い出せない。しかし、ポツンと言ったその一言は私を納得させた。
「やはりそうだろうな」
父が結婚相手の第二志望だったのだろう。








好きな人と結婚できずに、年ばかり取り、焦って父と結婚したのだろうなと自然に納得できたのだった。
何しろ母が結婚したときは二十九歳だった。当時としては余りにも遅かった。






子供の時の私は辛いことの連続だった。家庭も地獄、学校も地獄だった。今私は自分の父のことや母のことを分析しているが、これほど冷静に分析するのは初めてのことである。なぜなら私は自分がなぜ気違いになったのか、懸命に思考しているのだ。それには父や母の分析が欠かせない。恐らく誰もがそうであろうが、父や母のことなど分析したくないものだ。








美人の母がなぜブスの父と結婚したのかなどは、誰も分析したい人などいないだろう。私も書きながら辛い。しかし、私は自分が気違いになった原因を追究したいのだ。その為には辛いことも敢えてする。







美人の母がなぜブスの父と結婚したのかは、決して口にはしなかったが、子供の時には秘かに疑問を持っていたのだろう。厳しい家庭、存在目的が全く分からない学校。友達との話し方も分からなかった。








実は、小学校に初めて行った時にも、他の生徒達が仲良く話している理由が分からなかった。今はその原因が分かる。実は次兄は私が近所に遊びに行くと追い返していたのだ。
「治男がいると恥ずかしい」
そう言って、常に私を追い返していた。








だから私は普通の子供のように学校へ行く前に近所の子供と話す機会がなかったのだ。次兄がなぜ、
「治男がいると恥ずかしい」
そう思ったのかは、多分、自分より劣る弟を見せたくなかったのだろう。私は先生も嫌いだった。何よりも給食が大嫌いだった。私の育った頃は、戦後間もなくのこともあり、食べるものは余りなかったのだが、それでも給食は特に食べられなかった。








 小学校の担任の先生からは、常に怒られていた。学校の先生は私をねたんでいたのだ。私が医者の息子であるので、日ごろから良いものを食べていて、私がぜいたくで食べられないのだと思い込んでいたようだ。教師からは給食を残す私を次のように攻めていた。








「こんなごちそうが食べられないのか。余程贅沢な食事をしているのだろう」
 事実は全く違うのだ。今になって私は理解できる。私は初めてのものには舌がなじまないのだ。
大人になっても、名店の御馳走は全く口に合わないのだ。大人になり好きな女の子が出来ると、デートに誘う為に、名店を訪れた。例えば次のように誘った。








「○○店は凄い御馳走らしいね。でも、一人では恥ずかしいから一緒に行ってくれませんか」
 名店で好きな子を誘う作戦だったのだが、私自身は美味しいと思ったことは一度もないのだ。本当に私が好きな店はバーミヤンであり、王将であり、要するに庶民の味が口に合うのだ。









田舎に旅行するのは食事が楽しみだと言う人が多いが、私には食べられないのだ。自分でも不思議であり、偉い先生の「味の秘密」などの講演を聞いたこともあるのだが、それでもはっきりしなかった。要するに幼い頃から、食べなれたものしか口に合わなかったのだが、教師の目には贅沢な子供としか映らなかったようだ。ここでも、医者の子供であると言う理由で損をしていた。









 昔は卵が大好きだった。当時は卵が高くめったに食べられなかった。それでも御飯に醤油だけをかけて食べていた。父は倹約家であり、家で高いものなんて全く食べなかった。
 小学校でも誰にも話しかけられずに、授業も嫌いであり、給食は本当に私にとって残酷な時間だった。








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しかし、今の私は父の欠陥は人の心が分からないことだと思う。今でもテレビでは特段の良い成績だった人達が何でも知っているような顔をして、得意げにしゃべっている。しかし、彼らの最大の欠点は普通の人の気持ちが分からないことだ。







例えば、彼らは分からない授業を聞く辛さなど経験したこともないだろう。彼らの多くは「分かりすぎる易しい授業を聞く辛さ」を経験していても、その逆の「全く分からない授業を聞く辛さ」を経験したことはないだろう。普通の人の普通の苦しさを決して理解できないのだ。








例えば舛添要一と言う人は私の一番嫌いな人だが、税金で贅沢三昧した人だ。税金を自分の為に使うことには一切抵抗感がない。本当に信じられない。知事になる前には散々良いことを言いながら、いざなると湯舟のように自分の為に税金を使う。しかも堂々と今もテレビに出て、
「私は法律を犯していない」
などと、平然と言う。










今もってテレビに出す方もどうかと思う。あんな人間を決してテレビに出すべきではない。もちろん、未曽有のコロナ問題の時には仕方ないこともあったのだが、それ以外で政治のことなど話させるべきではない。テレビでは、秀才達を特別視しすぎている。彼らは決して優秀ではないのだ。






話がそれてしまったようだが、私の父を想像するにも、あの舛添要一を連想して頂ければ分かり易いのではないかと敢えて話題をそらさせて頂いた。秀才達はとかく自分のことしか考えないものだ。父が正にその代表である。









殆どの日本人が戦争で死ぬことを覚悟していたのに、大部分の秀才達は自分だけが生き延びることを最優先にしていたのだ。当時の医学部は今以上に難しかっただろう。しかも、それを子供に自慢する。優秀な自分のことしか見えていない。他人がそれをどう見るかなどとは全く考えないのだ。








私は母に似たのだろうか。運動も出来ない。絵も下手だ。只、正直、舛添要一が決してハンサムでないように、父もハンサムとは程遠かった。私の顔は自分でハンサムなどと思ったこと一度もない。しかし、少なくとも父のようにブスではなかったと思う。母は、いわゆる美人だったと思う。子供心になぜ母のような美人が父のようなブスの人と結婚したのか不思議だった。







これは他の兄弟達も秘かに持っていた疑問ではないだろうか。もちろん、誰もそれを口にしたことはなかった。大人になった私には当然に理解できる。父の医者としての地位の高さと収入に惹かれたのだろう。母のような美人がブスの父を好きになるわけがない。お見合いで結婚したと言うのだが、良く結婚する気持ちになった。






只、たった一度だけ母が私に言ったことがある。
「好きな人がいた」
あれはいつの時だったのか。








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 ずっと後に、母が死んだ時には私一人が全く泣かなかった。涙は全く出ずに、自分でも不思議であった。今この手記を書くに至り、涙が出なかった原因が明確に理解できるのだ。母に全く愛されていなかったのだ。





 小学校も中学校も、友人もなく常に孤独だった。勉強などは全く出来なかった。と言うよりも、授業の時には常に何か空想の世界にいたので、テストなんかは全く出来なかった。常に空想の世界に逃げていたのだと思う。テストの成績や通信簿が悪いのを見て、父は常に母を攻めた。





 何しろ、父は勉強の天才だったらしい。父は北野中学、大阪高校、そして大阪帝国大学の医学部をそれぞれ卒業していたのだった。もちろん、昔の学制が違うのだが、今の、北野高校、大阪大学の教養部、そして大阪大学の医学部に進んでいたようで、相当の難関だったようだ。

 父は、私が余り分からない頃から良く言っていた。






「今の医学部なんか易しいものだ。昔では全ての秀才は誰もが医学部に進んだものだ」

 何でも、昔は戦争中のこともあり、大学に進めるものは全員が医学部を目指したそうだ。なぜなら、戦争中でも医者は前面に立つことは決してなく、常に後方部隊であり、死ぬ心配はまずない。戦争でけがをしたものを治癒する立場であり、後方にいながら地位は高い。






しかも、万一、敵に捕らえられても、殺される心配もなく逆に、

「こいつの命を助けてくれ」

と、請われて逆に尊敬されることもありうる。それは誰でも知っていることであり、それ故、誰もが医学部を目指したと言うのだ。





 当然、真意は分からない。しかし、戦争で死にたくないのは恐らく事実だろう。私の小、中学の頃は、父から随分何度もその話は聞かされていた。当時の大阪大学の医学部に現役で合格したのは父を含めて二人だけしかいなかったことを何度も聞かされていた。父はよく言った。






「浪人生は一年かけて受験勉強する。勝てる訳がない。それなら三年の一学期と二学期は最高の成績を取り、三学期には一度も学校に行かずに、受験勉強にまい進しようと決めていた。そして、たった二人だけしか現役で合格出来なかったのだ。やる気さえあればそこまで出来るのだ。御前達もお父ちゃんを見習え。今は秀才達も工学部や理学部に行く。お父ちゃんが通った頃の医学部とは値打ちが違う」





 何度も聞かされていたのだった。父が子供たちの成績が良くないことには、腹を立てていたことだけは間違いのないことだった。





 私は運動神経も鈍いし、取り柄など何もなかった。学校の存在自体が嫌いだったし、先生も嫌いだった。給食が大嫌いだった。ここでも父が医者であることが災いした。担任の先生は私が贅沢で食べられないと勝手に思いこんでいたのだ。実際には何の贅沢も父はさせてくれなかった。






只。私にはいくら空腹でも食べられないものが多くあったのだ。生まれつき偏食なのだ。しかし、教師は私が贅沢で誰もが食べているものを食べられないと思いこんでいたのだった。

実際には家で当時は御飯に醤油だけかけて食べたりしていた。

たまごなど簡単に食べることは出来なかった。

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実は日本の医療は先進国で最低だ







 数日後、中村さんの死体が発見された。私の思った通り自殺だった。私は思わず思ったことを口にした。
「ほら、やっぱり自殺や。ラジオでも責任感じて自殺したと言うてる」
 父の顔色が変わったのだ。私をひっぱたくと、
「何を生意気なことを言うんや。逃げられへんと思って自殺しんや。責任感じるような奴と違うわ。お前はそんなことも分からんのか」







 私は何度も叩かれて、なぜ叩かれるのかまったく理由が分からなかった。その当時の他の兄弟達は、おそらく無意識に父の性質を理解していたのだろう。父の言うことに正面から否定した兄弟達は確かに私以外に誰もいなかった。それでも、それは私が七十になった頃にやっと気づいたようなものだ。








幼い頃の私には、どうして父が私に対してだけ厳しいのか、全く分からなかったのだ。中村よねきちさんの名前は今でもはっきりと覚えている。
余りに昔のことなのでネットで検索しても出てこない。しかし、調べてもらえば名前に間違いない。私がテレビで報道される同じことを言いそれで父に殴られたことをはっきり覚えているからだ。






 父には自分に逆らう私が悪の塊に見えたのだろう。
 物がなくなると父はよく、
「治男が取ったんやろ」
 と言った。必死になって否定する私を突然ひっぱたくと、
「正直に白状すると許したんのに、嘘をつくのが許せん」
私は父が怖くて父のものを取ったことは一度もないのだが、いつでも私が疑われた。








よく世間では
「もう一度幼い頃に戻りたい」
そういう人が多いが私は一度もそう思ったことはない。もし生まれ変われるとしたら親の愛が感じられる家て゛生まれ変わりたい。只、正直もう一度生まれ変わりたいとは面倒くさいので思えない。私は自分のできることを精一杯して死んでいけたら最高だとは思っている。









出来れば若い人の為に日本の医療を変えたいと思いながらこのブログを続けるのが今の生き甲斐だろうか。笑わないで戴きたい。
 何度も何度も殴られた。痛さと苦しさと自分の話を聞いてくれない悔しさで、泣きじゃくる私を父に見つからないように、後で慰めてくれた姉の存在が唯一の救いだった。








確かに姉だけは私にやさしかった。しかし、今では姉もそんなことは忘れているだろう。私は今でも、兄弟の中では姉だけに親しみを感じている。
それに対して、母が私を助けてくれたことは一度もなかった。








母はいつでも父に従順で、
「お父ちゃんは偉い人や。絶対間違いのない人や」
「お父ちゃんに疑われるあんたが悪い」
そうしか言わなかった。






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 何度も何度も起こされて、
「どうして医者の家なんかに生まれてきたのだろう」
 そう一人でつぶやくことしか出来なかった。実際、起こされてその後で一睡も出来ずに次の日に学校かあるいは幼稚園へ行くこともあったのだ。






「寝ても起こされるのではないか」
そう言う強迫観念に取りつかれ、子供でありながら寝つきが悪く不眠症になってしまった。その資質は今も続いている。私は不眠症なのだ。






ガンになった時にも、阿保先生も石原先生も催眠剤などは使用しない方が良いと書かれていたと思うのだが、これだけは手放せなくなってしまっていた。大人になって気違い病院に入院することになった素地は、間違いなくこの時に植え付けられたものだったのではないだろうか。
 父は自分が権威ある家長でなければならないと信じていた人だった。









自分を尊敬し、自分の言うことを何でも聞き、従順に従う子供以外は必要ないと信じ切っていた人であった。
母が便気に落ちそうになった時に助けてくれた以外には、私の心の中には全く父や母に可愛がられた思い出はないのだ。





 子供心に、
「なぜ自分が生まれてきたのだろう」
 と、思うことはあった。しかし、自殺することは思いもよらなかった。逆にこのまま死んだら淋しすぎる。誰からも愛されず、誰をも愛さないまま死ぬのは嫌だ。そんな思いは強くあり、幼児だけにそれ程言葉では明確には思っていなかったのだが、そのような感じでいたことは確かに明確に記憶が残っている。死ぬことに対する恐怖感は強くあった。








いつか、誰かに愛されたい。いつか誰かを愛したい。自分で振り返っても悲しいほど思い詰めていたのだ。
 私はついつい思ったことを言うので、父の怒りを何度もかきたてた。例えばこんな事件が報道されていた。







 中村よねきちさんという老人が子供にわらび餅を売って生計を立てていた。ところが二人の子供がそのわらび餅を食べて、食中毒で死んでしまった。
 間もなく、その中村さんが行方不明になるのである。私は気の毒になり、思ったことを口にした。







「可哀そうに、自殺したんとちゃうやろか」
 父は間髪を入れずに言い放った。
「古い餅を売るような奴や。自殺なんかするわけないわ。警察が怖いから。逃げ回る卑怯な奴や」






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当時の日本は本当に貧しかったのだ。高い外国の肥料は買えず人間のうんちが第一の肥料だったのだ。若い人に想像できるだろうか。
私の家庭のことに話を戻すと、後に妹が生まれると、妹は顔も可愛くて、皆に可愛がられていた。多分、妹に対しては私が一番冷たかっただろう。






幼かった私は自分だけが冷たくあしらわれるのに常に孤独感を抱いていた。妹に対しては恐らく嫉妬心も無意識に持っていただろう。只、当時はそんな分析もできる能力がなかった。只々、地獄のような実家であり続けていたのだ。






今の若い人たちに想像できるだろうか。尤も、便器に落ちた子供を助けたのは決して母だけでなく我が子に対しては誰でもしただろう。母の愛情がただそれだけで他には一切記憶が無いのは寂しいものである。






学歴コンプレックスの塊の母は父に盲信しその不満は実家に合わない私に鬱憤をぶつけていたのだ。私にとって母の愛情を感じたのは幼稚園の頃の私がトイレに落ちかけて助けてもらったことだけとは寂しいものであり、他に母の愛を感じたことは一度もなかった。父に盲信した母は父に合わない私を冷たくあしらうことで日頃の鬱憤を解消していたと私の今は自信を持って言えるし、二度と母に会いたくない。







話がそれてしまって申し訳ないけれども、この手記を書きながら当時は子供も大人の大きい便器で用を足して無理をして広げた足を閉じなければならなかった。その事実を知ってもらうことにも意義があるようにも思えてきた。
そうだ、今の若い人々にあの当時の日本の貧しさを表せるのは、今となっては私しかいないだろう。何も、経済発展したのは私達老人の貢献があるのだなどと恩に着せるつもりは全くない。








しかも、私自身は日本の経済発展に貢献したなどとはとても思えない。私は塾の一講師であり、むしろ、パラサイトではなかったかと反省しているくらいだから。日本を今のように経済発展させたのは確かに名もない無数のサラリーマンであり、私はそのおこぼれを貰っていたに過ぎないとしか正直思えない。だからこそ、言えるのかもしれない。







確かに今のように豊かになれたのは、私達世代の名もない無数のサラリーマンの貢献があったと言う事実を敢えて指摘させて頂いた。若者の不満も理解できる。
「私達の年金は将来貰えないのではないか」
そんな不満は若者からよく聞く。







しかし、私達の子供の時にはウンチするのさえ大変な時代だったのだ。恐らく私だけではないだろう。誰にも言わないけれども、ウンチの池に落ちた人はいた筈だ。何しろ、当時には至る所に便所で集めた池、これをこいだめと言うのだが、確かにあちこちにあった。







そんな時代に生まれ変わりたいと思う人はいるのだろうか。今の方が良いに決まっている。私はあの時代に戻りたいなどとはとても思えない。小さい子供がウンチをするたびに恐怖を感じる時代が良いとはとても思えない。恐らく今の若者がウンチをしたくてあの便所に入れば、出掛けたウンチも止まってしまうだろう。トイレ一つとっても、今の時代は素晴らしいほど良い。誰があの汚い便所で用を足す時代に戻りたいと思うだろうか。







確かにその一瞬は私を助ける為に、母は愛情を示してくれていた。しかし、その一回以外には母の愛情を感じた経験はないのである。母は父に盲従していた。父の言うことを天の声と思い込み、自らの意見を述べようとすら思えない人だった。すなわち、我が家に於いては父の声が天の声であり、それに逆らうことは犯罪であり、誰もが父の声を天の声として聞いていた。







唯一、私だけがそれを理解できずに、素直に思ったことを言っていた。私は我が家に於いては犯罪者だったのだ。
本当に、生まれてからの明確な記憶が父に激しく殴られたことである人はそうはいないのではないだろうか。ともかく激しく殴打されたことははっきりと覚えている。母は完全に父を支持して、文句を言った私をさらに叱りつけたことも覚えている。これが我が家での最初の明確な記憶なのだ。





 激しく殴られたのはその父が往診に行くとき一回だけだった。その後も何回も起こされた。しかし、決して文句は言わなかった。殴られると分かって、文句を言うほど馬鹿ではなかったのだ。




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後に妹が生まれると、妹は顔も可愛くて、皆に可愛がられていた。多分、妹に対しては私が一番冷たかっただろう。幼かった私は自分だけが冷たくあしらわれるのに常に孤独感を抱いていた。妹に対しては恐らく嫉妬心も無意識に持っていただろう。只、当時はそんな分析もできる能力がなかった。只々、地獄のような実家であり続けていたのだ。






また、父は明らかに姉や妹を男よりもかわいがって育てていた。
「男は自立しなければならない」
 そんなことは小さい時から常に言われ続けていた。





父には私が最も粗末に育てられ、
「お前は生まれてこない方が良かった」
そう罵られることは何度もあった。母は私が幼児の頃には、私を可愛がっていたと人づてに聞きはした。しかし、私の記憶に残るようになってからは大事にされた覚えがないのである。








本当に全くないのだ。例えば、
「雨雨ふれふれ、母さんが」
に続く童謡の意味が私には全く分からなかった。雨が降ればお母さんが傘を持って迎えに来てくれて嬉しい、と言う意味の歌なのだが、私は雨がどんなに降っても迎えに来てくれたことなど一度もないので、意味が理解できなかった。







確かに、迎えに来ている他所のお母さんを見て、「羨ましいなあ」と感じてはいたのだが、私自身はその経験がないので実感として意味が分からなかったのだ。
このように実家について書くのは本意でないのだが、やはり気違いになるというのは相当の原因があるのであり、参考にして頂けたら有り難いと思い敢て書くのである。やはり親の愛は恐らく気違いになるのを防ぐだろう。







あー一度だけあった。しかし、これを書くにはすごく抵抗がある。背景も説明しなければならない。これを書くには私にとっては勇気がいるのだが、公平を期する為に思い切って書こう。ちょっと説明が長くなるのだが、今の若い人達には想像も出来ないだろうから、少し背景を説明させて頂く。昔はいわゆるぽっとん便所だった。






私が小学生の頃には、今のようなきれいなトイレではなく、汚くて臭い便所で用を足さねばならなかったのだ。
それは臭いので、家の外にあり夜中におしっこをしたくなると、戸を開けて便所に向かいおしっこをしなければならなかった。夜におしっこで目が覚めると、外の便所を目指す為に、暗い中でそっと明かりをつけて外に行くことは怖かった。






子供だけに大変怖かったことは覚えている。しかし、その時の恐ろしさはどう表現して良いのか、今もってわからない。
当時は大人の生活を守るのが大変であり、子供も大人用の便器に足をひろげて、ウンチをしなければならなかった。子供の私がウンチをするのは大変だった。しかし、ウンチをしたい時には仕方なく我慢していた。






その時にもウンチを終えて立とうと思った時に足を滑らせて、便器の中に落ちそうになった。私は必死になって両手を便器にかけて、
「助けて」
と叫んだ。母が慌ててやってきて両手を持ち上げて、足が便器に漬かっていたのを引き上げてくれていた。





便器の中のウンチまみれの私を当時にあった井戸の水をくみ上げて、私の足を洗ってくれていた。
「臭いな」
そう言いながらも、洗ってくれたのだった。私は何も出来ずにただ足を洗われるのを見ていただけだった。





確かにその時には、母に助けてもらっていた。当時は便器にたまったウンチやおしっこの塊の中に落ちていたら、死んでいたのではないだろうか。
確かめようがないので分からないのだが、当時の便器にはウンチやおしっこが池のように溜まっており、その中に落ちていたら、息が出来たのだろうか。







深さがどれ程あったのか、全く分からない。便器の中を見るとウンチとおしっこでできた小さい池のような中に無数のウジ虫のようなものが動き廻っていた。見るのは嫌だったのだが、怖いもの見たさのように、時々、下を覗き見ていたこともあった。





その気持ち悪い池の中に落ちてしまったのだ。気持ち悪いのだが、その時にはそんな感情もなくなり、必死になって便器に両手にかけて助けを求めたことは、確かに私の記憶の中にある。
確かに母にしかあの汚い仕事をしてくれた人はいなかっただろう。





母の愛を確かにその一瞬は感じていた.母でなければ洗ってくれる人はいなかっただろう。赤の他人なら、助けて引き上げることは出来ても、洗うことは出来なかったのではないだろうか。




まだまだ日本は貧しかったのだ。ちなみに当時は便器にたまったウンチやおしっこの塊をひしゃくでくみ上げてしかもお金を出して購入してくれるお百姓さんがいた。野菜の肥料にする為であった。




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大人になって長兄がぽつんと、
「お父ちゃんにクラブのようなところに連れて行ってもらったことがある」
と言い、その時には次兄が、
「羨ましいなあ。僕は一度も連れて行ってもらったことがない」
そう言っていたのを覚えている。







そのこっそりとした打ち明け話を聞いた時には、
「やはり、父は長兄を大切にしているのだなあ」
と、納得していたのだった。





もちろんそれは大人になって初めて聞いたことであったのだが、子供のころから父が長兄を特に重視していたことだけはおぼろげながらも分かっていた。
昔の道徳を重視していた父は、長兄は大事な跡取りであったのをぼんやりと理解していた。
次男はそのスペアであったのだろう。







私は必要とされなかったのではないだろうか。実際、父は常に言っていた。
「長幼の序と言って、物には順番がある。年少のものは上にものに対して常に敬意を払わなければならない」
正直、全く尊敬できない次兄は私をいじめ続けていたのだが、父は私しか怒らなかった。







私は常に虐待され続けて育ったのだ。次兄は男通しの対抗心からか、私には常に冷たく冷酷な扱いを与え続けてきた。一つには年の差もあっただろう。長兄は私より九年も年上であり、手の届かない大人であった。
長兄は年下の兄弟達にはあまり関心もなく、確かに大人の世界にいたのだろう。次兄は私より三年年上だけで、年齢だけで尊敬できる程には離れていなかった。








次兄は或は無意識に私の態度に腹を立てていたのかもしれなかった。そう言えば、次兄が、
「僕はお兄ちゃんを尊敬しているのに、治男は僕を尊敬していない」
そう何度か口にしていた。私は心の中だけで、
「どこの部分を尊敬するのですか」
と、秘かに子供ながら思っていた。







それを口にすればひどく殴られるのは子供なりに分かってもいた。決して口にはしなかったのだが、態度には出ていて、それが次兄の怒りを増したのかもしれなかった。ともかく、父は年齢順に大切にしていたのだった。私はやるせない立場に常に追いやられていたのだった。







実際、ずっと後で、父母も死んだ後で、
「確かに俺はお前に冷たかった」
そう認めたことがあったのだ。しかし、それは謝罪ではなかった。ぽつんと口から出ただけで、実際にどれほど冷酷なことをしたかは子供のこともあり、決して覚えていないだろう。いじめはされたものだけが覚えているものだ。






仮に後から謝罪されても、幼かった私には何の慰めにもならなかった。三歳の年の差を父母の影響もあり、次兄は私を支配するのを当然視していたのだろう。




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64歳でガンになりました。その偽らざる経験を知って頂きたいのです。

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