2023/05/02
実は日本の医療は先進国で最低だ
私は勉強も出来なかったし、取り柄など何もなかった。とりわけ運動は苦手だった。これには前述のように理由もあった。三歳年上の次兄が、私を外で遊ばせなかったのだ。次兄は幼児の頃から良く外へ出て、近所の友達と夕方まで遊んでいた。私が外へ出ると、次兄は私を連れて家に帰るのだった。
「お前がいると恥ずかしい。家で遊べ」
つまり、私は外へ遊びに行くことが出来なかったのだ。初めて幼稚園や小学校に行った時、他の子供達が誰かと親しそうに話しているのが不思議だった。私以外の人は既に友達がいて、私はなぜ一人なのか全く分からなかった。
何しろ、同年の子供は、私にとって全くの他人だったのだ。どう話して良いのか、接し方が全く分からなかったのだ。
次兄がなぜ私と一緒に遊ぶのが嫌だったのか?
多分、何をやっても自分より劣る弟の存在が恥ずかしかったのだろう。三年の差は大きい。
次兄は弟のことより、自分を仲間の中で低く見られたくなかったのだろう。
それ故、私は男の子に珍しく、体育の授業が一番嫌いだった。球技なども、同級生の殆どはどこかで習っていたのだろう。上手くできていたのだった。私は何をしても、初めての経験であり、良くからかわれた。
「お前は男のくせに、女より運動が出来ないな」
とりわけ、運動会では恥ずかしかった。何時も徒歩競争、当時で言う「走りあい」が常に最下位だった。運動会が近づくといつも頭が痛くなった。
「雨が降って中止になって欲しい」
毎年、毎年、それを祈っていた。次兄は逆に徒歩競争で常にトップであり、私を笑っていた。
「僕は早いのに、お前は何でそんなに遅いんや」
当時は何も言い返せなかった私だが、大人になった今だからはっきりと言える。
「それは全てあなたのせいです」
子供の時には、運動会の前日にはとても憂鬱だった。馬鹿にされると分かっている日々をどうして喜べようか。
そのように体育の時間が嫌でどうして学校を楽しめようか。友達もいない。友達とどう話して良いか分からなかった。学校の存在自体が嫌いだったし、先生も嫌いだった。
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