2023/03/07
実は日本の医療は先進国で最低だ
大人になって長兄がぽつんと、
「お父ちゃんにクラブのようなところに連れて行ってもらったことがある」
と言い、その時には次兄が、
「羨ましいなあ。僕は一度も連れて行ってもらったことがない」
そう言っていたのを覚えている。
そのこっそりとした打ち明け話を聞いた時には、
「やはり、父は長兄を大切にしているのだなあ」
と、納得していたのだった。
もちろんそれは大人になって初めて聞いたことであったのだが、子供のころから父が長兄を特に重視していたことだけはおぼろげながらも分かっていた。
昔の道徳を重視していた父は、長兄は大事な跡取りであったのをぼんやりと理解していた。
次男はそのスペアであったのだろう。
私は必要とされなかったのではないだろうか。実際、父は常に言っていた。
「長幼の序と言って、物には順番がある。年少のものは上にものに対して常に敬意を払わなければならない」
正直、全く尊敬できない次兄は私をいじめ続けていたのだが、父は私しか怒らなかった。
私は常に虐待され続けて育ったのだ。次兄は男通しの対抗心からか、私には常に冷たく冷酷な扱いを与え続けてきた。一つには年の差もあっただろう。長兄は私より九年も年上であり、手の届かない大人であった。
長兄は年下の兄弟達にはあまり関心もなく、確かに大人の世界にいたのだろう。次兄は私より三年年上だけで、年齢だけで尊敬できる程には離れていなかった。
次兄は或は無意識に私の態度に腹を立てていたのかもしれなかった。そう言えば、次兄が、
「僕はお兄ちゃんを尊敬しているのに、治男は僕を尊敬していない」
そう何度か口にしていた。私は心の中だけで、
「どこの部分を尊敬するのですか」
と、秘かに子供ながら思っていた。
それを口にすればひどく殴られるのは子供なりに分かってもいた。決して口にはしなかったのだが、態度には出ていて、それが次兄の怒りを増したのかもしれなかった。ともかく、父は年齢順に大切にしていたのだった。私はやるせない立場に常に追いやられていたのだった。
実際、ずっと後で、父母も死んだ後で、
「確かに俺はお前に冷たかった」
そう認めたことがあったのだ。しかし、それは謝罪ではなかった。ぽつんと口から出ただけで、実際にどれほど冷酷なことをしたかは子供のこともあり、決して覚えていないだろう。いじめはされたものだけが覚えているものだ。
仮に後から謝罪されても、幼かった私には何の慰めにもならなかった。三歳の年の差を父母の影響もあり、次兄は私を支配するのを当然視していたのだろう。
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