2023/02/28
実は日本の医療は先進国で最低だ
私の実家のことについて書くと、殆どの方には御興味が無いかもしれない。しかし、気が狂うことの原因として御参考にして頂くと幸いである、少し書くことを許していただけると有り難い。私にとって、実家は監獄だった。但し、他の兄弟達にとっては、そうでもなかったようであった。要するに私には実家が全く合わなかったのだ。
私はどうして生まれてきたのだろうか。生まれた時の記憶は本当に何も思い出せない。
初めて幼い時のことを思い出そうとすると、最初の記憶は暗い闇のように思える。ずっと幼い頃には、何かで私を含めた兄弟が立たされていたような記憶がある。買い物に行って、間違ったものを買ったと父が怒って子供達を立たせていたのだ。そんな記憶がほのかにある。それが事実かどうかは定かではない。
そのぼんやりした記憶の次には、明確に覚えていることがある。
ある日、私が熟睡していると部屋の明かりがつき、私が目を覚ました。
「せっかく寝ているのに起こされた」
私が泣きながら訴えると、父は、
「お前はこれから患者さんを見に行くお父ちゃんの大変さが分からないのか」
私は顔の形が変わる程、激しく殴打された。小学生の一年くらいか幼稚園のことだったのではないかと思う。他の兄弟達は深夜に出て行く父の大変さを理解していたのだろうか。それとも、私と父が同じ部屋で寝ていて、他の兄弟達は別の部屋で寝ていたのだろうか。何しろ部屋は大家族だけに沢山あった。
私の実家は私のもの心が付いた時には七人家族だったと思う。父の母、つまり祖母と、父母、それに私を除いた三人の兄弟がいた。その殴られた時には妹はまだ生まれていなかった。私が生まれた六年後に妹が生まれていた。
ともかく物心ついたころには、私が最下層の人間だった。食事の時間は年齢順に座席が決まっていて私はいつも末席だった。只、妹が生まれると、妹がその末席に座っていただろうが、妹は私より六年後で生まれたので、私に物心がついたころは間違いなく私が末席だった。長男は跡取りであり、特別な存在であった。確かに、子供心でもわかる程、父は長兄を大切にしていた。
尤も、妹は末っ子であり女の子だったので地位は下だったが私と違い大切に育てられていた。両親からは可愛がって貰っていた。一番粗末に育てられたのが私だった。
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