2022/12/13
実は日本の医療は先進国で最低だ
後で聞くと二〇一七年当時の私は、テレビを見て怒り放送局に抗議の電話をしたそうだ。言われてみればそんな事もあったようだ。微かに覚えていた。また相当の重症で医師が
「このままでは栄養が取れないので死んでしまう。栄養を外部から取りましょうか」
妻はどうして良いか分からず、娘達に任せたようだった。
三人の娘達は相談して、
「パパには死んでほしくない」
と、栄養を取るように依頼してようやく生き延びたようだった。
とりわけ次女は
「私がタレントを目指し、無理をしたからパパの気が狂ったのでは」
と責任を感じていたようだった。尤も、次女は当時としては初めてアウトデラックスという番組で当時として初めて、一人で独占放送され絶大な人気を得て一時は検索ランキングで羽生結弦に次ぎ第二位になりチャンスを得ていた。
実は入院中夢の中で娘を通じマツコさんと友達になる夢を見ていた。だから次女が原因でないことは確かなのだが本人は責任を感じていたようだった。
私自身、自分がラジオを作っていたのに父から取り上げられて残念な気持ちはいつもあったので、娘達が何をしようと反対することはなかった。一度の人生である。挑戦したければ本人が諦めるまで挑戦し、自分の人生は自分で決めるものだと思っている。
いずれにせよ、娘達は私が正気に戻るとは思っていなかったようでそれにも関わらず、私を助けようてしていたくれたことは感謝している。娘達にも答えるためにも早く正気になるよう努力しなければと自覚した。
妻にはとりわけ迷惑をかけた。仕事があるにも関わらずほぼ毎日散歩に連れて行ってくれて外を見せてくれた。阪急電車を見ては「私も電車に乗れるようになりたい」
そう心から思った。
まず出来ることをしなくては、そう思い妻が仕事中に買い物にでかけた。車椅子に乗り買い物にでかけたのだが、私は日本人がいかに親切なのか痛感した。私の車椅子を大勢の人達が後ろから押してくれた。私は自分がそんなに親切だったのかと反省もした。
妻が帰宅までに夕御飯の準備をしたりした。帰宅した妻は
「無理をしなくて良いのに」
と言ってくれたが、リハビリを兼ねたものだった。塾がどうなっているのか知りたかったが、流石に車を運転するのは怖かった。
塾は元々、自宅でしていたのだが生徒の通り道が実は他人の土地であり塞がれてしまっていたのだ。だから、止む無く塾だけの為に何とか家を買い、塾だけにしていた。車で行かねばならず、当分は無理だった。
このように夕食の準備をすることから、テレビを見てなるべく笑うようにした。実はガンになった頃にも
「笑うことは健康に良い」
そう書かれていたのだが、その当時は塾をしたくてとてもお笑いを見る気持ちにはなれなかった。今は気が狂ったのである。正気になることが第一であり、その為にもお笑いを無理にでも見ようとした。
そうしつつ、徐々に感覚を取り戻しつつあった。努力すれば正気になれると確信しつつあった。勿論、例の医者が出した薬は一切飲まなかった。
出来れば下のブログランキングの両方をクリックして頂ければ有難いです。
何とかガン患者の為に順位を上げたいのです。御協力をお願いします。
ブロ友
良い人だと思います。只、私は自分のブログで精一杯で読めないのが残念です。
https://tatakau736.blog.fc2.com/
【岡田有希子の謎】予知夢・超能力
◎予知夢・超能力とは…?また彗星のごとく
現れこの世を去った岡田有希子の謎に迫る!!
私の別のブログです
こちらも見て戴けたら嬉しいです
こちらはいまガンで苦しんて゛おられる方には私の今のブログより役に立つでしょう。私のこのブログは若い人の為に役に立つと思うことを何でも書いていますが、今紹介したブログはガンだけに特化しています
コメント