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実は日本の医療は先進国で最低だ









そして、幼い子供達からは、追いかけられていた。実に楽しそうだった。ついつい、自室に引き込もりがちな私は遠くから次女を眺めているだけで楽しかった。心が慰められていた。日本の医療に対する失望もこの時には、すっかり忘れていた。
しかし、確実に日は過ぎていく。後二日でヒンダングを経つ頃、いつもと同じ楽しそうな様子だったが、その晩に急に泣き出した。






「もう、明後日帰るんや。もう会えないんやね。悲しい、辛い」
私は別れの時には、あるいはその前夜には、次女が泣くことを予想していたが、後二日という時点で泣くとは予想していなかった。確かに、もう会えないのである。慰める言葉もなかった。






いとこにあたる青年達が次女の異変に気が付いた。彼等もまた、それ程うまくない英語で次女を慰め始めた。
「ヒロミ、泣かないで、必ず僕たちもお金を貯めて会いに行くから。約束するから、泣かないで」
別のいとこの青年は言った。





「ヒロミは良い子だ。だから、私達との別れを淋しがってくれる。いつか、また、きっと会おうね」
私は何も慰める言葉を見つけられなかった。この青年達がお金を貯めて日本に来るのは殆ど不可能だ。
フィリピンでの賃金を考えると、飛行機代を貯めることなど、






正直、無理なのだ。私の子供の頃に、誰もアメリカに行けなかったのと同じように。あの頃、アメリカとは遠い遠い夢の国だったのだ。この青年達にも、普通に賃金を貯めて日本に行けるほど甘くはないのだ。そして、私達もまた、そんなに簡単に来られるわけではない。






私だって何十年も経って、やっと来られたのだ。そして、次女もまたそれを知っているだろう。恐らく二度と会えないことを知っているだろう。私に慰める言葉など何も見つけられなかったのだ。
送られている間も、次女は泣きっぱなしだった。私もまた、全く何の慰めの言葉も掛けることは出来なかった。








楽しい時は確実に過ぎていく。そして、再び来ることは恐らくないであろう。只、泣きながら妻の実家を後にして、そして、空港まで送ってくれた多くの親戚を相手に、空港で尚も、時間ぎりぎりまで、別れを惜しんでいた。







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