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当時にあった新日本トラベルという会社で、三泊四日のマニラ観光が五万円以内で行けたのだ。しかも、宿泊宿もついてその値段だった。食事も毎朝食は付いていた。

それで十分だったのだが、次第により自由を求めだし、その新日本トラベルでエアオンリーの制度で飛行機代だけで、ホテルは現地でより安いインを使い始めたりさえしていた。







そして実は、フィリピンで塾の講師として生きていく自信も与えてもらったのだ。少しだけ、独身時代の経験を話させて欲しい。

エルミタトゥーリストインというインで、ボーイが数学の問題で困っていた。日本の高校生の一年の問題だった。数学の割り算だった。





教科書通りの基本的な問題であり私が教えてあげた。数学の問題を英語で教えられるのか、挑戦でもあった。苦労したけれど、何とか分かってくれたようだった。教え終わると私は、少し疲れてビールが飲みたくなった。





ビールを注文すると、ガードマン、ホテルの店員全員が何と私が数学を教えた少年に、

「君は数学を教えてもらったではないか」

「彼のビール代は君が払うべきである」





そのように少年に言ったのだった。その少年は、実際に自分の財布を開けようとしていた。恐らく、日本円で百円程度であっただろう。

しかし、ボーイのサラリーは極めて安いことも私は知っていた。その少年にとっては決して安いものではない。私は慌てて言った。





「大丈夫だよ。私が飲むのだから、私が払うよ」

私は内心、少し驚いた。フィリピンの人達は何かというと、チップをねだり、日本人からは、お金をたかる傾向があった。しかし、その時には、全員が授業料として、日本人の私に「ビール代くらい払えよ」と、少年に言ったのだった。





正直、私は塾の講師であることをどこかで卑下していた。実際、いろんな場所で、例えば近所の集会などで殆どの人達が学校の先生には「山田先生」とか、敬称として「先生」と言っていた。私自身は塾の経営をしていると、





多くの場合「中野さん」とさん付けで呼ばれることが多かった。私自身は「先生」などと呼ばれたくない。本心そうである。しかし、それなら学校の先生にも、自分や子供がその人に教えてもらっているなら、「先生」と呼ぶのが自然である。





しかし、近所の人達が近所付き合いだけの寄り合いの場で、学校の先生には「先生」と呼びながら、塾の講師である私に「中野さん」と呼びかけることには、正直、抵抗があった。本当は私の方が教え方がうまいのに、塾の講師は「さん」で呼ばれ、学校の先生が「先生」と呼ばれるのは納得できなかったのかもしれない。





尤も、考えてみれば多くの学校の先生はなりたくてなったのだろう。私は生きるために必死に追い込まれて塾の経営者になったのだから、尊敬に値する筈がないのだが、「士農工商」の商でしかないことに、やはり心のどこかに卑下する気持ちがあったのだろう。





昔の江戸時代では、武士が一番偉かった。何と言っても強いし、時代によっては、切り捨て御免、と町人を切り捨てる自由すらあったのだ。その時代に生きていた人達は、どれほど武士を恐れたことだろうか。農は言うまでもなく、人々が生きていく為の食料を与えてくれる。




武士に次いで偉いのは納得できる。次に偉いのは工である。物を作る。職人であり、確かに偉いことは認識できた。商は何も作らない。右から左へ運ぶだけである。そして、その間に利益を得るのだ。





確かに、一番地位が低いのは納得できる。その中で人にものを教える今で言う教師はどんな位置にいたのだろうか。私には分からない。興味はあるけれど、調べてみたいほどの興味はない。恐らく、士農工商に属さないけれど、それなりの敬意は払われていたことだろう。





人にものを教えることは、それなりに認められていたと思う。そして、長い歴史はそれなりに継がれている。近所の寄り合いで、学校の教師が「先生」と呼ばれるのはその名残ではあるまいか。学校の先生はそれなりのことを教えて給料をもらうのである。





私はどうか。言ってみれば教師の下働きである。これを教えると言う信念もなければ、義務もない。教科書が変わればそれに合わせて出来るだけ分かり易く教える。学校で中間考査や期末テストがあれば、予想問題を作る。





教師の裏を探るのである。確かに、余り自慢できる仕事ではなかった。士農工商で言えば、間違いなく商に属しているだろう。自分で選んだ仕事でなくて、流されていきついたような仕事でもあった。どこか、自分の職業に確かに劣等感を持っていたのだ。





この地、フィリピンに行ったことがある人は誰でも経験があるだろう。日本人からは出来るだけお金を払わせようとするのが普通であるのだ。しかし、少年に数学を教えた。只それだけのことで、






周りのフィリピン人の人達が貧しい筈のボーイに「授業料を払うべきである」そう言ってくれたのである。確かに、私が塾の経験をして、心のどこかにあった劣等感を慰めてくれたような経験であった。





教えることに自信を与えてくれた初めてのそして一回限りに経験だった。塾の講師であることを卑下しないでも良いのではないか。生涯、塾の講師であることに自信を持っても良いのではないか。そう思わせてくれた貴重な経験だった。マニラでのほんの小さな経験である。しかし、小さな経験の積み重ねが案外大きいものではないか。






小さい経験が自分に自信を与えてくれる。人生とはそんなものではないだろうか。人にものを教えることは、この地でも、それなりに評価されるのか!

私が生涯一講師として生きる原点になった経験でもあった。

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