2022/04/12
実は日本の医療は先進国で最低だ
男達は「どうして、どうして」と言っていたが当然に私はそんな声を無視していた。ガッチリした男達だった。恐らく柔道で初段ではあったが、瞬発力はあったのだ。大学時代、素質はなかったがバーベル部にも入部していた。両方のおかげで危機がふせげたのだった。あのままどこへ連れられたのだろうか。考えるだけで恐ろしい。
結局、空港では日本人女性が私の話を聞いてくれて、
「私はホテルの従業員ですが、お客さんの送迎バスに乗りなさい」
そう勧めてくれた。
とても親切な人だった。私はいくらかのお金を支払おうとしたのだがそれも受け取ってくれなかった。
「大変な迷惑にあったじゃないですか。お互いに助け合いですよ」
そう言って「これからも気を付けて下さいよ」そう言ってくれた。
当然とても感謝したし今でも感謝している。江川君ともインで再会し江川君は公共バスを利用していたことも分かった。
本当に取り分け空港は危険であり日本と治安は比較にならない。実際あの時殺されていたかもしれなかったのだ。よく無事だったと当時も思ったし今も思っている。以上の私の経験がとりわけ若い人達の参考になれば幸いである。
そんな経験もあっただけに確かにインに泊まりたくても泊まれなかった。次女がいるのである。確かに危険な目にあう訳にはいかなかった。
妻はマニラの国際空港で親戚に迎えに来てもらうように弟に手配していた。実際、国際空港では、タクシードライバーが声を掛けてくる。そして、確かに、私自身も怖い体験もしていた。日本ほど安全ではないのだ。
従って、エルミタトゥーリストインに泊まることは断念せざるを得なかった。残念だったが弟がコックとして働いていたホテルに泊まれるようにホテルを手配して、予約も入れていた。そうだ、昔のようには自由にふるまわれないのだ。
マニラでそれなりの安全なホテルに宿泊し、次の朝には、妻の親戚の人が、フィリピン国内空港へ連れて行ってくれた。マニラから、タクロバンに飛びタクロバンにも妻の姉が待っていた。
タクロバンで用意してくれていたホテルで一泊して、次の日には妻の親戚の人が妻の故郷であるヒンダングに連れて行ってくれた。
私は自由でないつまらなさを感じつつも、若い娘の安全を考えると、確かに有難くもあった。日本では考えられない猛スピードでヒンダングに着いたのだった。
妻の実家は無くなっていた。新しい知らない家に着いたような気分だったが、実はそれが妻の実家であったのだ。すっかり改装されていた。当然に私が送金したお金で改装されたのであろう。そこには大きな張り紙がされていた。
Welcome Nakano Family 「歓迎、中野一家」
妻の両親は既に他界しており、長男のロメオが中心に座っていた。ここで五泊ほどしたのであろうか。随分、長い休暇であった。
もしも、私が塾をしていたら絶対に不可能な長期旅行であった。妻も、リストラされて無職であった。次女にとっては初めての母親の故郷であり、自分のルーツの発見のための貴重な経験であっただろう。
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ブロ友
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