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実は日本の医療は先進国で最低だ


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ほんらい私に対する次兄の態度を冷たすぎると思わない人が日本にいるのだろうか。尤も、私も母の葬儀などには全く関心がなかったので単に親戚の手前があり出席していただけだった。



一滴の涙も出なかったし、母の良い思い出など私には全くなかったのだ。尤も、次兄と妹は激しく泣いていた。私は不思議に思う。

確かに次兄は母から愛されていた。私が高校生の時に体験したような事故にもしも次兄があっていれば恐らくは母はカギを掛けるのも忘れて、病院に直行しただろう。



私にとっては私をいじめ続けた人が世を去ったという感想でしかなかったのだ。涙の出る余地など全くなかった。

元々死後の世界を信じない私である。母の没後の墓になど全く興味がなかったのだ。母はきっと私を憎んでいたと思う。

実は母は勉強が全く出来なかったのだ。自分の姉が進む公立高校には行けなくて、私立高校しか行けなかったのだ。とりわけ数学には劣等感を持っていた。私は勉強にはある程度耐えられた。



その点では父に似ていたのだろう。勿論父のように現役で大阪帝国大学の医学部を卒業できたほど勉強が好きではなかった。

母は学歴コンプレックスを持っていた点では次兄と共感できたのだろう。だから次兄は可愛くてたまらず、父に似た私は憎たらしくて堪らなかったのだろう。



父と母が仲良ければそれ程の問題はない。しかし父を愛せなかった母は父に似た私を好きには成れなかったのだろうと思う。実際母は父を全く愛していなかった。性格の違いは私の目からも明らかだった。

父は常に高圧的だった。母を女中のように思っていたし、母もよく耐えていた。母が父に口答えなどしたことは一度もないし、常に「お父ちゃんは偉いね」と私達に言い続けていた。



尤もそれは本音ではなかっただろう。常に父を恐れていたし、女中のように従い続けていたのだった。

また父も無神経だった。実際、私と次兄が勉強が出来ないと母が父に相談したとき、父は平然と母に言っていたのだ。

「お前が馬鹿やから○○と治男が勉強出来なくてもお前に似たんやからしゃあないやろ」

その度に母は流石に悔しそうだった。先妻の子供である長兄は勉強が出来きたし、茨木高校にも通っていた。



実は私も次兄と同様に全く勉強はできなかった。私は実は中学一年生の時の英語の二学期末テストでは三十八点しか取れなかったのだ。

勉強には全く興味がなかったし授業もろくに聞いていなかった。しかし流石に二年になるのが怖かった。

何しろ当時の私の通っていた養精中学では二年になる時に英語が能力別に指導されていた。今では公立中学校で英語の能力別指導などしているところがあるのだろうか。



しかし私は英語や数学では能力別指導をするほうが適切だと思う。前にも書いたが英語や数学は積み重ねの学問だ。

英語で言えば三単現のSも理解できないのに、過去形や現在完了などどうして理解できるのだろうか。だから能力別指導にするほうがより親切なのではないだろうか。



但し、ここでは私の持論を抑えたい。人には様々な考えがあるだろうし、私の中学時代の話をしているのに勝手に持論を展開しても多くの読者には迷惑だろう。

私は中学一年生の後半でラジオに興味を持ち、初めて鉱石ラジオを作ってイヤホンで音が聞こえた時には本当に感動していた。

毎日それを聞きながら寝ていた。自分の作ったラジオから音が出るのは本当に感動モノだった。段々、欲が出てきて自分だけのラジオを作りたいとさえ思うようになったのだ。


そして冬休み、英語の虎の巻を買ったのだった。尤も若い人には虎の巻と言っても通じないかもしれない。今で言う教科書ガイドである。ラジオを作りながらも英語を必死に勉強した。



勉強嫌いな次兄も英語では優秀クラスにいたのだった。もしも私が優秀クラスに行けないと私が初めてであったのだ。流石に恥ずかしいと思った。

そして三学期ではその英語の学年末試験では九十六点を取り何とか優秀クラスに行けたのだった。そして先述したようにラジオの勉強に挑戦していると学校の授業がとても簡単に思えるようになったのだ。



中学二年になるとテストのたびに私の成績が上がっていったのだ。確かにあの頃から母は私を嫌いになり始めたのだろう。ずっと長い間に鬱積した母の勉強に対する劣等感、自分の姉の下着まで手で洗濯していたのだ。一切の家事を母が一人でやり続けたのだ。

そんな劣等感を持ち続けた母が結婚後は父には一切文句が言えない。誰かに欲求不満をぶつけたかったのだろう。私は恐らく標的になったのだろう。



そして父に対して常に低姿勢でい続けたのだ。

尤も私と母の性格は明らかに違っていた。次兄のほうが母に似ていた。だからやはり私の母は次兄が可愛くてたまらなかったのだろう。

そしてやはり私が京都大学に入ったことが決定的になったのだろう。実際、私が東大入試がない時に京大に合格すると母は大喜びをして親戚全員に電話していたのだった。



そして次兄に対する思いは募り逆に私に対しては自分の子供でありながら嫉妬と怒りの感情を自然に持ってしまったのだろう。

尤も考えてみればそれも無理はない。何しろ母は四人兄弟の中で家事を全てこなしていたのだ。実は母の母は若くしてガンで死に家事を母しかしなかったのだ。

当時のことである。洗濯機もなかったのだ。自分の姉の下着を手で洗うのはやはり気持ちが悪かったのではないだろうか。それらの家事全てをすることが金のかかる私立高校に行かせてもらった自分の義務と思ったのだろう。



実際私の叔父、母から見て弟になる塩田の叔父さんは良く言っていた。

「ゆきさんは偉かった。家事全部をしてくれた」

今でも家事は辛いのに当時は洗濯機も冷蔵庫もない時代だ。想像以上に家事は大変だっただろう。その全てを自分の姉の分まで一切をしていたのだ。

自分では義務だと無理に思い込もうとしていたのだ。当然に学歴コンプレックスを自然に持ったことだろう。そんな母が自分が誰よりも偉く賢いと思いこんでいる父と結婚したのだ。


父が高圧的な態度でも一切抵抗の術を知らなかったのだろう。私は母のそんな態度が嫌だった。子供心に常に母はどうして父に盲目的に従うのか不思議でたまらなかった。



私には学校で習う家庭像と私の実家との違いに子供の時から不思議だったのだ。但し、それは私だけだっただろう。他の兄弟達は自然にその環境に馴染んでいたのだ。



人間はやはり個性と感性が違うのだ。とにかく我が家においては私だけが浮いていたのだ。適応能力がなかったのだろう。

私は母の怒りの対象になってしまったのだ。今の私はどうしても思う。どうして世の中では学歴などのつまらないことに誰もが夢中に成ってしまうのか本当に怒りに似た感情を持ってしまうのだ。


本当に母が私を愛せなかったことは仕方がないとは思う。それにしてもせめて人並みの愛だけでも持って欲しかった。

私は母の愛を知らない可哀そうな人だと自分でも思ってしまう。本当に悲しい。せめて自然な母の愛を知った上で成人になりたかったのだ。


母の愛を知らない私は大人になって自分の子供達だけはそんな風に成長させたくなかったし普通の大人になって欲しかった。

長女を定時制高校にしか行かせられなかった私自身を悔しく思う。


しかし同時に私の妻が幸いにも優しい人なので母の愛を子供達に伝えることが出来たことだけは本当に嬉しく思うし、妻にも感謝している。

父が生きている間にも父は実は孤独だったのだ。学歴も最高である。当時の大阪帝国大学卒業である。大日本帝国が作った大学である。



今と全然時代が違う。恐らく早稲田や慶応など、とても足元にも及ばなかっただろう。しかも当時は今以上に医者になるのは難しかったそうだ。

何しろ戦争が何時あるか分からない。実は父には優秀な兄がいて、その人は病気で若くして死んだそうだ。

それで父は自分の父つまり私から見て祖父にあたるやはり地元の名士である私の祖父から言われていたそうだ。


「お前の兄は若くして死んだ。お前には死んで欲しくない。だから医者に成れ。医者なら戦死することも無い。医者はいつも背後で戦闘員の介護をするだけだ。例え敵に捕らわれても、殺されることはない。



寧ろ敵の誰かの命を助けて感謝されることさえあるのだ。せっかく私の力で大阪帝国大学を作ったのだ。そこの医学部に行け」

何でも私の祖父は大阪府会議員だったらしいのだ。当時の府会議員は名誉職であり、今よりずっと権威があったそうだ。

「京都に帝国大学がありながら、どうして大阪にないのか」と、中央政府に何度も交渉したそうなのだ。



やっと大阪帝国大学が出来たのだった。それで私の父は大阪帝国大学の医学部に現役で合格する為に作戦をたてたそうだ。

これは父からそれこそ耳にタコが出来る程聞かされた話だ。どうやって現役で入るのか、何でも父は一学期と二学期にクラスの最高点を取るまで学校の勉強を徹底的に頑張ったそうだ。



最高の成績を取れれば三学期にゼロ点でも卒業できる。そして受験が近づいた三学期には卒業式を除いて一度も学校には行かずにひたすら受験勉強にまい進したそうだ。

父の努力は実り何と医学部に合格出来たものの内で現役で合格したのは父を含めてたった二人だけだったとのことである。



当時は初任給でも大きな違いがあったそうだ。何しろ帝国大学である。繰り返すが大日本帝国がたてた大学である。その当時の医学部は確かに難しいだろう。医者は戦争で死ぬことがないのだ。

確かに戦後生まれた私にも当時医者になることが難しかったと容易に想像できるし、恐らく戦争を知らない今の若い人々にも簡単に理解できるだろう。



それにしても私にも父と同じ行動を求めるのは無理だ。人間は誰にも個性がある。私は中学校の三年になる時に完成間近のラジオを作ることを禁止されたのだ。

完成間近だ。悔しい気持ちはきっと若い人達にも理解できるだろう。この悔しさは一生続いたのだ。本当に一生続いた。だから何をやろうとしても私は常に心の空洞を感じ続けていたのだ。

あの悔しさは経験した人でなければ絶対にわからないだろう。私には常にラジオが実際になったのか知りたい気持ちはいつまでも残り続けているのだ。



それは今もある。七十二歳になった今でも、

「あの時のあのラジオは果たして鳴ったのだろうか」

今でも続いている。私と同じ経験をした人ならきっと私と同じだろう。

父の苦労は確かに大したものだとは思う。しかしだからといって自分と同じように誰にも出来ると考えるのは例え自分の子供であっても、行き過ぎではないだろうか。



当然に父は大阪帝大を誇りに思っていたし自分の子供が自分と同じ行動を取れないことに怒りの念を持ったかもしれない。しかし子供は自分のコピーではない。

どうして個性を認めることが出来ないのだろうか。母に対する態度に対してもそうだ。母は後妻だった。実は長兄と姉は先妻の子供だったのだ。

何でも先妻は病弱で若くして死んだそうだ。それでも母は先妻の子供にも自分の子供と同じように接していた。それに対してやはり感謝の念を持つべきではないだろうか。



当然に先妻の子供を自分の子供と同じように育てることが出来るのは寧ろ珍しいのではないだろうか。だからそんな母に対して少しは感謝するのが普通だろう。

少なくとも現代ではそうだ。先妻の子供と自分の子供と同じように接している妻なら今の夫で感謝しない人がいるだろうか。



それを感謝しないどころか自分の力で養ってやっているという感覚しか持ていなかった。常に母に対しては上から目線だった。そんな態度で母が父を愛せるはずがないのだ。

たしかに大阪帝国大学の医学部は難しいだろう。しかし自分を賢いと思い他人を馬鹿だと考えるのはあまりにも傲慢すぎる。

しかし母の父を愛せない理由を繰り返し述べても意味はないだろう。このへんでやめよう。

父の行動や考え方に話題を戻させて頂きたい。たしかに父は大阪帝大の医学部を卒業し父はその誇りを持っていたようだし、結果的に四件のアパートも持っていたのだ。



流石にどこかで私に後ろめたい気持ちがあったのだろう。

実は父は死ぬ前に私に殺される夢を何度も見ていたようだった。これは後に妹と次兄から聞いた。

父は私を公然と利用していたし、ひどい仕打ちもしてきた。或いはその具体例を後に示す機会があるかもしれない。だからだろう。自分の息子に殺される夢まで見て果たして父は幸福だったのだろうか。

本当に父は何と惨めなのだろうか。これで幸福な人生だったと言えるだろうか。



次兄は学歴コンプレックスを持っている。私が惨めで自分の長女を定時制高校にしか行かせることが出来ないときには、恐らく私に優越感を持ったのだろう。そして私に意地悪をした。それでも全く良心の痛みすら感じなかったのだろう。


寧ろ、今までの劣等感が優越感に変わる幸福感を持っていたのだろう。だから私がどんなに頼んでも一切無視した。そればかりか自分の娘がお葬式に出ないことさえ言おうとしなかったのだ。



村田さんや私の父は学歴で優越感を持ち、他人を常に自分より劣ったものだと考えているのだろう。逆に私の次兄は常に劣等感を持ち他人の立場は考えずに何かで仕返ししたいと考えていたのではないだろうか。

私が敢えてガンと全く関係のない話を続けるのか恐らく読者は不思議だろう。私は知っている。



世の中にはどれ程多くの人達が学歴で劣等感を持ったり、数学が分からないと言って、苦しんでいる人達が多いのかを知っているのである。

私は若い人々にわかって欲しいのだ。実は幸福になるのに学歴も関係なければ、お金も全く関係ないことを若い方々に分かって欲しいのだ。



その点ではガンの話とも恐らく共通しているだろう。私は若い人が好きだ。第一に世の中のことを知らない。

当然にそこには将来のことを心配するし結婚や子供のことも考えるだろう。実は若さは辛さとも言えるのだ。

私は是非その方々に幸せになって欲しいのだ。たった一度の人生である。これをどのように生きるかはその人だけが決められるのである。



私はそのように幸せとはどんなものなのか自分なりに理解しているつもりだ。当然に父を見て私は育ち父の最後は金も名声も持ちながら実は自分の息子に殺される夢さえ見ていたのだ。

何と不幸な人生だろうか。その父を見てきたのだ。私にとっては有名人も只の人にしか見えないのである。



私は当然にいかなる有名人でもとても只それだけで尊敬したりサインを求める気持ちにはなれないのである。実際に私は何度も有名人を見たことはあるが一度も声をかけたこともなければサインを求めたこともない。

当然に娘達も私の手記を読んでいるだろう。娘達の反応が心配である。しかし恐らく大丈夫だと思う、日頃から私は娘に何でも話していたし、私の父を「他山の石」として何でも話すようにしていたのだ。



因みになのだが、この「他山の石」を別の言葉で「反面教師」とも言う。「他人の悪い面を見て自分がそれを学ぶ」と言う意味だ。

どちらも恐らく私の娘達も含めて若い人々は知らないだろう。大切な言葉であるので是非これを機に覚えて頂きたい。


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