2020/12/25
実は日本の医療は先進国で最低だ
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だから私は理科系に行く為には京都大学を目指す以外の方法がなかったのだ。社会がある程度の豊かさが出来て初めて弱者のことを考えるようになるのであることを私は身を持って知っている.成績が三流高校で下位だった私が自分の進路を考えるとやはり例え浪人しても京都大学を目指す以外の方法はなかったのだ。
しかも不幸なことに、私が二年間も浪人して京都大学の電気を学ぼうとしたのだが、忘れもしない1969年に東大の入試が無くなってしまったのだ。何と私は不幸なのかと私は自分で自分の不運を嘆いていたのだった。ここでも弱者は無視されたのだった。私が二年も浪人したのには個人的な問題があったのだった。
私は中学二年の頃から、ラジオの制作に没頭していたのだった。しかし、父から拒否された。
「大事な受験期ではないか。こんな時にラジオを作ってお前はどんなつもりなのか。今度ラジオを作れば全部捨ててやるから覚悟しろ」
完成間近のラジオだったのだ。私は父を恐れていたのだ。父はその強い信念があり、自分が受験期に受験の没頭していたのをそのままに私にも求めたのだった。誰にも個性がある。しかし父はその個性を認められない人だったのだ。
私の父と合わない性格が私に災いをもたらしたのだった。父は私が自分と同じように受験勉強にまい進することを求めたのだった。私はラジオの完成を目前にして諦めざるを得なかったのだ。父は自分の言葉を絶対に守る人だった。私にはとてもラジオを触ることは出来なかったのだ。
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敢えて私はアルバイトをします
ブロ友
良い人だと思います。只、私は自分のブログで精一杯で読めないのが残念です。
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