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実は日本の医療は先進国で最低だ


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実は既に私が大学に入学した頃でさえ京都大学には私の様に無名の高校からは殆ど入学していなかったのだ。私は例外的存在だった。正直な話、自己紹介で出身高校の名前を言う時には、誰も私の出身校を知らなかったのだ。大阪出身の学生でさえ大阪にいながらやはり誰も私の出身高校の名前を知らなかった。

私自身はどちらかと言うと、常に学校の成績は下位だった。好きな理科系に行こうとしても当時は厳しい色盲検査があったのだ。実は私は赤緑色盲であり理科系への道が殆ど閉ざされていたのだ。男性のほぼ5パーセントの人達は赤緑色盲であり、理科系への進路を殆ど閉ざされていたのだ。唯一、東大と京大だけが色盲でも受け入れてくれていたのだった。

だから私は理科系に行く為には京大を目指す以外方法がなかったのだ。今では理科系に行こうとしても色盲検査などないようである。しかし私が受験した頃は厳しい検査が常に行われてきたのだった。何といっても弱者を守る余裕が社会になかったのだ。色盲の人間に入学を認めると時間も取られてしまう。当時の大学教授達は恐らくそう考えたのだろう。

実はあのダーウィンも色盲だったらしい。彼が当時に日本の生物を学ぼうとしていても東大と京大以外は受験できなかったことになるのである。如何に不合理な差別であったことが分かるだろう。実についこの前までは弱者は全く無視され続けていたのだった。弱者の声など聞き入れる余裕が社会には全くなかったのだ。

私が自分が色盲であることを知ったのは小学校の一年の頃だった。「色盲検査」の為の本があり普通の人が5に見えるのに私達色盲者は6に見えたのだった。当時の教師は私を放課後に検査をして、
「どうしてこれが6に見えるの。5としか読めないでしょう。あなたはおかしいわ」と私に明言していたのをはっきりと覚えている。

家では父の親戚と母の親戚がお互いに、
「内の家系には誰もそんな人はいない。相手の家系に問題がある」
と私の面前で言っていた。私が傷つくことなど全く気にしていなかった。子供の人権など全くなかった時代だったのだ。

私自身は普通の人と違うのかと漠然として不安に陥っていたのだが誰一人私の心を気遣ってくれる人など親も含めていなかったのだ。実際に今の私は虹を見ても三色にしか見えない。七色の虹など全く私には見た経験がないのである。

そして漠然とした不安は的中したのだ。正に大学に入学しようとしても理科系に進む為には東大と京大しかなかったのだった。


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