2020/11/29
実は日本の医療は先進国で最低だ
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確かに父は自分の家系に自信を持っていたし、誇り高い人だった。何しろ実家には家系図があり、その祖先はなんとあの中大兄皇子であった。父がその家系図を信じていたことは恐らく間違いなかっただろう。尤も私が大学に入学し国史の先生に尋ねたところ、先生ははっきりと私に断言されていた。
「当時は専門の家系図を書くことを生業にしていた人達が大勢いたので、全く信用できないので見る価値もないだろう」
私だけが実家で真実を知ったのだった。当然に誇り高い我が父に言える筈もなかったのだ。当然にフィリピン人と結婚した私は「祖先の威厳」を破ったのは想像に難くなかっただろう。
それでなくとも「お前はいらない」と公言されていた身であった。例えばその約二十年後に死んだ父の遺言で私は長男の十分の一以下しか与えられなかったのだ。当然に遺留分をはるかに超えていた。恐らく父の本音としては一円も上げたくなかったのだろう。中野家の血筋を汚したのだ。父は私に一円も上げたくなかったことはたまに父の病院見舞いに行った時の父の姿勢で容易に想像できたのだった。只、全くのゼロでは流石に示しがつかない。申し訳程度にしたかったのだろう。現代に生きる方々は信じられないだろう。
何しろ数億円の資産がありながら、私には一千万円しか与えられていなかった。父の思いとしては恐らくそれでも上げ過ぎだと思っていのだろう。それは日頃の父の態度で想像に難くない。何しろ誇り高き中野家の血を汚したのだ。父としてはその一千万円ですら多すぎると思っていたのだろう。何しろ私以外の子供達には結婚式の費用も又家さえも用意してあげていた。私だけであった。一円の結婚祝いも貰えなかった。もう少し書きたい気もするのだが、脱線するので元の話題に戻そう。
尤もその当時としては恐らく異常とまでは言えなかったのだろう。私以外にも同様の扱いを受けていた人達が相当いたことは想像に難くない。何しろ私が生きてきた72年間には驚く程道徳も常識も変わっていったのだ。そう言えば私は現代と戦後間もない時代の生き証人とも言えるかもしれないのだ。或はこの手記を単にガンに対する姿勢だけでなく一つの歴史と見て頂いても良いのではないだろうか。
実際、もしもタイムスリップできたとして私が急に子供時代から現代に移行すれば浦島太郎の様にすっかりたまげるだろう。
若い方々も是非参考にして頂きたい。当時は車優先だった。学校では、
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良い人だと思います。只、私は自分のブログで精一杯で読めないのが残念です。
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