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実は日本の医療は先進国で最低だ









店を諦めた父は次兄を就職させる為に、市会議員に頼んでいた。頭を下げるのが大嫌いな父も、責任上。次兄の就職の為には頑張ったんだろう。そして、次兄は見事に定年まで働き続けていたのだ。
親である以上、子供の性質と素質を見分ける義務があると思う。今は父となった私が果たして、その義務を成し遂げたと言い切る自信はない。しかし、少なくとも、私の父母よりは義務を果たしていたとは信じられる。







次兄は自然に目上の人を尊敬できた。私は只年上と言うだけで尊敬など出来ない人間である。次兄にすれば自分自身は長兄を尊敬しているのに、自分を尊敬しようとしない弟が好きにはなれなかったとしても不思議はない。要するに認めたくはないけれど、性格だけを見れば私が父に一番似ていただろう。










七十歳の頃に、離婚してシングルマザーで二人の男の子を育てた○○さんと人が私にそっと言ったことがあった。
「実は長男は私に似ているの。でも次男は父親に似ているので、どうしても愛せないのよ」
その一瞬に、母が私を愛せない理由の一端が理解できたのだ。宿命だったのだ。









若い人は子供を育てる時に、私の手記を参考にして欲しい。そうすれば犯罪者も気違いも半減するだろう。そうであれば、それだけでこの手記を書く意義があるのだと信じたい。
最後に妹について語ろう。妹は誰からも愛されて育った。幼い頃は私だけが妹を愛せなかったのではなかっただろうか。







家族の誰からも愛されて育った妹にどうしても嫉妬心はあったのだろうと思う。しかし、妹をいじめることは出来なかった。少しでも妹をいじめると次兄が正義の味方のように妹を助けるのだった。
それ故に、妹は恐らく何不自由ない幼児期を育ったのだろう。確かに父が死んだときも母が死んだ時にも、妹は凄く泣いていた。









只、お葬式の後で妹が静かに私に言ったことに私は驚いた。
「お母ちゃんはホンマに偉かった。どの子供も平等に育ててたよね」
まさに開いた口が塞がらない程に私は驚いた。妹は母が本心で私を平等に育てたと思っていたのだろうか。









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実は日本の医療は先進国で最低だ











多くの人の命を救った実績があったのだ。この日本で五十歳の若さで医者の仕事を自ら止める人なんかいるのだろうか? これまで見てきた患者さん、父を慕ってきた患者さんをどうして簡単に見捨てられるのだろう。事実、父が八十二歳で他界した時にも、その時ですらお葬式には大勢の人達がいた。私は知らないが妹がお葬式の後で言っていた。







「先生に命を助けられた」とか、
「先生は命の恩人です」
とか、多くの人達がいたそうだ。妹は茨木の土地を離れたことがないので知人も多かったのだろう。私は茨木を離れて相当の歳月を経ていたので、私自身はそんな話を聞いたことがなかったのだが、後で随分聞かされたものだった。









大学をやめた次兄が喫茶店を経営する。碁会所で囲碁を楽しむ客が空腹になれば、一階の喫茶店で食事やビールやコーヒーを注文できる。囲碁を楽しみながら空腹を満たすことが出来る。そうすれば囲碁を楽しむ人達は長居できる。喫茶店も儲かる。相互効果で両店とも繁栄できるという計画であったのだ。









小林一三が阪急電車で大金持ちになった。自分でも商売ができると信じたのだろう。あまりにも甘すぎる。
当時の私は父の計画を聞いて、何となく納得していたのだが、今や大人になった私は本当に理解できない。








考えて欲しい。長年の経歴を持ち地域から相当の尊敬されていた医者である。その医者が突然廃業して喫茶店と碁会所を開くのである。理解できる人がいるのだろうか。同じ茨木市である。歩いてわずか五分の距離である。昨日まで患者だった父をどう呼ぶのだろうか。
昨日までは、「先生、助けて下さい」そう呼んでいた頼りにしていた医者が突然に碁会所のオヤジになるのである。







本当に家族の誰もが異議を唱えなかったのが不思議である。しかし、それが我が家なのだ。普通の常識を全く気にせず、偉大な父の言いなりになるのが我が家であったのだ。誰一人、父に黙って従うのが我が家なのだ。唯一の例外が私だったのだ。私が父に嫌われるわけである。








その頃姉も宝塚を止めたころだった。父は新しい仕事をする為に、姉と次兄を同時に喫茶学校に入れていた。姉も次兄も自然に父の言いなりになって、姉は阪急電車の相川駅から徒歩三分程度の場所に喫茶店を開き、次兄は父の計画のままに一階を「フレンド」という店のマスターになったのだった。そして、父はその二階で碁会所のオヤジになったのだった。








確かに、三年ほどは頑張っていた。ある年には元旦も返上して、働きづめていた。
多分、三年か四年ほどは頑張っていた。しかし、当然に閉店してその場所を他人に貸して家賃を貰う立場に変わったのだった。








医者でも弁護士でも司法書士でも或は国会議員でも良い。「先生」と呼ばれてお金を貰える立場の人が商売をして成功したという例を七十五年の年月を生きた私が見たことはない。無理だと思う。良く三年か四年も続けたと思う。今までは患者は金を支払いながら「有難う御座います」と言うのである。医者は決してお金を受け取って「有難う」とは言わない。お返しの言葉として「お大事に」そう言うだけである。医者として約二十五年も高給を得た人が、お金を受け取って「有難う御座います」なんて言えたのだろうか。前にも書いたように私は失意の中にいた中なので父の商売している様子を見たことが殆どなかった。











正直に言って次兄は商売には向いていなかった。私の方がはるかに向いていると思う。個々の例は上げないけれど、私から見てあり得ない商売を続けていた。例えばコーヒーを安価にして客を呼ぼうとしていた。安価にして客を呼ぶのは最もしてはいけない行為だ。店の権威がなくなってしまう。子ども心にこんな事が分からないのかと不思議であった。










尤も次兄は私が店を訪れるのを嫌がった。「絶対来るな」そう言われていた。年下の私に見られることが嫌だったのだ。それ自体商売には向いていないだろう。身内の者に気単のない意見を述べてもらう。その姿勢がない限り商売は無理なのだと思う。










今となっては次兄と私とはあまりにも性格が違った。私が次兄の立場で生まれて、次兄が私の立場になっていれば恐らく仲の良い兄弟になっていただろう。私なら幼い弟が近所
に遊びに来れば、「これは僕の弟だよ。仲良くしてあげてね」と言っていただろう。










次兄は三年年下の弟が幼い失敗をすることを恥ずかしく思ったのだろう。だから私が近所に出かけると「お前は家に帰れ」そう命じていたのだ。私は幼い頃、近所で遊ぶことは出来なかった。それ故、幼稚園や小学校の四年くらい迄、人との付き合い方が全く分からなかったのだ。









運動会でいつも最下位だったのは確かに私に素質がなかったこともあるだろう。もしも、素質があれば遅れていてもたちまち追いついて行けたのだろう。素質がない上に経験もなかったのだ。私にとって学校は苦痛以外の何物でもなかった。そして、家庭も学校に劣らず苦痛な場所であったのだ。








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実は父は茨木市の駅の近くに三百坪の土地を買っていた。
その土地の中に六十坪のアパートを建ててもいた。それは私がまだ小学生になった頃であった。父が母に語っていたことを不思議に私は覚えている。
「駅前やったら、一坪一万円やで。流石にそれは無理やった。歩いて五分くらいやけど一坪三千円やった」







心配性の父は六十坪の土地をアパートにして残りの土地を利用して農作業をしていたのだ。田畑を開墾しスイカやトウモロコシを栽培していた。開業医として忙しい筈だった。趣味ではなかった。しばしば父は言っていた。







「医者が何時迄も金があるとは限らない。万一の為に自分が食べられるようにしないと、もし戦争でもあれば自分の田畑さえあれば死ぬことはない」
確かに父の育った環境ではあるいはそう心配したのも無理はなかったのかもしれない。しかし、その頃は私が小学生に入学したころだった。もはや戦争なんか起こるとは考えられなかった。しかし、父は心配していたのだ。








小さな小屋を建てて養鶏場も持っていた。おかげで私は幼くしてトウモロコシの収穫やサツマイモを掘り出した経験を持っている。幼いなりに手伝いをさせられていた。当然に無給であった。また、鶏が卵を温めて孵化する様子も見ていた。母鳥が野良猫からヒヨコを守る際に、きちっと野良猫を睨めつけて、ヒヨコを守る姿も目の当たりにしていた。









ヒヨコは野良猫が来ると「ピヨピヨ」と母鳥の羽の下に身を寄せる姿を目撃していたのだ。今となってはそんな姿を目の前で目撃した経験のある人など何人いるのだろうか。今では卵を孵化させるのに機械を使うのが普通だろう。思えば父の心配性のおかげで貴重な体験を出来たことになる。








故に父が五十前後の若さで開業医を止めたとしても、無職ではなかった。農家でありアパートの経営者でもあった。それにしても長年培ってきた医者としての経歴を捨てられる神経は私には今もって全く分からない。






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それにしても、良く三百坪の土地を変える金があったものである。多分私だけだろう。実は父が土地を買った時に私は父に聞いたのだ。
「お父ちゃん、アパートなんてよう買えたね。お医者さんてそんな儲かるの?」
その時、父は珍しく笑って答えた。








「医者なんて儲かれへんで。お父ちゃんは株で儲けたんや。皆、株の買い方なんか知らへん。株の買い方がちゃうね。株わな……」
と、いろいろ教えてくれた。父は競馬も競輪もパチンコもギャンブルの一切をしなかった。しかし、唯一株だけは独自の買い方を研究していた。私は家族の仲間外れだっただろう。しかし、株だけは特訓をしてもらっていたことになるのだった。











当時はもちろん私は株のことなど全く知らなかった。株など買えたはずがなかった。しかし、基礎知識は残っていたのだろう。塾でお金が生涯で初めて貯まりだすと、有り金を全部株に注いでいたのだ。確かに、困った時には株がいつも私を支えてくれていた。
それにしてもここまで読んでくれた方に問いたいのだ。











貴方のお父さんは医者でないとしても、自分が医者の子供だったと想像して欲しい。想像だけなら出来るだろう。自分の父が地域の医者としてそれなりの尊敬を得ているのだ。
収入も普通の会社員に比べると、はるかに高い。周りにはあなたのお父さんを頼りにしている多くの患者さんがいるのだ。そのお父さんが五十歳の若さで、突然医者を止めるというのだ。あなたは反対しないのだろうか。











「パパ、パパを頼りにしている患者さんが大勢いるよ。まだまだ若いし、もっと続けた方が良いよ」
そう言うのではないだろうか。あなたが言わないとしても、あなたのお母さん、兄弟の誰かが言うのではないだろうか。開業医をして、それなりの投資もしていたのだ。赤外線の発生装置、レントゲン、せっかく作っていた薬の配合室、それらを新規に取りそろえるのに幾ら掛かるのだろうか。家族の誰一人反対しないなんて考えられるだろうか。










しかし、それが私の実家なのだ。長兄はその頃、教師として働いていた筈だ。長兄はどうして何も言わなかったのだろうか。恐らく長兄は父に何を言っても無駄なことを知っていたのだろう。父は自分で決めると必ず実行する人なのだ。そして、父が決めると唯々諾々と全員が従うのが我が家だったのだ。









それにしても近所の人はどう思っていたのだろうか。繁盛している医者が突然廃業する。噂していただろう。
「中野先生が止めたんだって。どうしてかしら。何か失敗して医者の免許を取り上げられたのかしら」
そして、突然徒歩五分くらいの場所に、碁会所のオヤジさんになる。相当驚いた思うのだが、当時の私には一切耳には入らなかった。












その頃私は高校一年生か二年生の頃だ。春日丘高校を落ちて、中学生時代の友人と会う機会も殆どなくなていた。関西大倉高校で出来た友人は、殆ど市街の人達だった。当然に私の父を知っている筈もなかったのだ。当時の私は目的も失い失意の中に生きていた。家族らの生活には全く興味がなかったのだ。結果を只聞いていただけだったのだ。

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Author:xo6em3gc9c1o
64歳でガンになりました。その偽らざる経験を知って頂きたいのです。

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