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実は日本の医療は先進国で最低だ







そのような家庭にあって、父は私から遠い存在であった。三男である。一人息子として生まれた父には私の立場が分からない。何度も言うように
「長男は必要だ。中野家を守るのだ。次男はスペアだ。必要があるかもしれない。お前は何の必要もない」
私の気持ちなど考えることもなかった。次兄はその言葉に甘えて私をいじめた。








しかし怒られるのは常に私だった。
「兄に逆らうお前が悪い」
小さい子供は調子に乗ると親の言葉をそのまま信じるのだ。私は自殺を考えなかった。常に思っていた。







「誰からも愛されず、誰も愛さないのは淋しすぎる。私も誰かを愛したい。誰かから愛されてから死にたい」
喧嘩の弱い私は家でも学校でもいじめられた。






父の職業も素晴らしい。実際、父は恐らく名医であったのだろう。事実、当時に他の医者で見放された患者にも心血を注いで治したようだった。私の経験でこんなことがあった。
私の小学一年か二年のことだった。例によって、子供の意地悪が始まっていた。金山君と言う喧嘩の強い同級生がいた。金山君は私をこう呼んだ。








「おい、やぶ医者」
やぶ医者、今ではその名を知らない人も多いかもしれない。やぶ医者とは事実上、患者を治す力のない医者を表現する言葉なのだ。私の父が医者なので、私をからかってそう呼んだ。
家に帰ってその事実を母に言った。母は間髪を入れずに答えた。







「金山君は本当は死んでいたのよ。他の医者全てに断られて、お父ちゃんだけが治してあげたのよ」
よほど腹が立ったのか、金山君のお母さんに母が言ったそうだ。母が私に後日言った。






「金山君のお母さんに、
『あなたのお子さんが内の子にやぶ医者と言ったようですね』
そうしたら、金山君のお母さんは顔色を変えて、
『○○、お前は中野先生に助けられたのを忘れたのか』
そうすごく怒っていたわ」








数日後、例によって、誰かが私を「おい、やぶ医者」そう言うと、金山君が慌てて言ったのだ。
「おい、そんなことを言うな」
その一瞬で金山君は私をいじめる側からかばうに側に変わったのだ。








前述したように金村君は強かった。私はいじめられるのを救われたのだ。同時に、父が確かに実力がある医者なのだと思った。小学校では実力あるものが支配するのである。





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実は日本の医療は先進国で最低だ






しかも、自分の父が死んだ後で父の苦悩が始まる。生活が大変だったらしい。私の祖父は多くの借家を持ち、家賃をもらえる筈だったのだが、自分の父の死後に、父が家賃を受け取りに行くと、ことごとく断られたらしい。






「ぼん、払う家賃なんかないわ」
冷たく答えると、わざと家の一部を切り取ると、
「ほら、これをたき火にせんと、暖も取られへんね」
家賃は払ってもらえない。







一方、銀行は、
「早く借金を返してくれ」
と、矢の催促だったらしい。
父は世間の冷たさを知る。本当は大学院に進んで世間に認められる大学の教授になりたかったのだが、お金が続かず、開業したそうだ。








当時は、そもそもどこの病院でも機械などなくて、実力だけの勝負だったそうだ。やがて、患者を診る内に、中古の赤外線の機械を買い、中古のレントゲンの機械も買った。赤外線の赤い光に足を照らしてもらったことは、微かに記憶が残っている。








多分、足に出来たしもやけの治療だったと思う。私の幼い頃は、冬の寒さで誰もがしもやけやあかぎれに苦しめられていた。今の若者には想像も出来ないだろうけれども、冬には子供はもちろんのこと大人もしもやけやあかぎれに悩まされたものだった。






敗戦直後の何もなかった時代だ。
父の大学時代の苦しさは、その後の父の生き方を決めた。
「借金はしてはいけない。銀行ほど冷たいものはない。いざとなると、お金しかあてに出来ない」






また、父には不思議なほど友人がいなかった。誰か友達と会うとか聞いたことがない。その理由も父が言っていた。
「友達なんて必要ない。お父ちゃんは自分の性質で、他人にしてもらったことには、倍にして返す。しかし、友達なんてことごとく、こちらがあげた親切に全く返してくれない。友達なんて全部嘘なんや。友情なんて小説の世界の話なんや」






当時の私は父は運の悪い人なのかな、そう思っていた。私はずっとたまたま父が出会う人達が悪い人ばかりなのかとも考えていた。
しかし、今の私ははっきりと分かる。それが分かるのはずっとずっと後で、実に私が七十歳を超えてからだった。








後にそれについて解説できる機会があるかもしれないが、父の欠点を知ったのは、村田さんを見てからだった。村田さんは公立高校から現役で京都大学の医学部にストレートで入り高校時代には物理の先生には「君はノーベル賞を貰える」と言われたそうだ。私はこの村田さんを二度にわたり助けていた。







当時は私にとても感謝していた。しかし先日会うとすっかり忘れていた。人に感謝したことはすっかり忘れるのである。父もおそらく同様なのだろう。他人から受けた親切は忘れるのだ。その結果、村田さんと同じことを言うのである。







すなわち、「友達なんて必要ない。お父ちゃんは自分の性質で、他人にしてもらったことには、倍にして返す。しかし、友達なんてことごとく、こちらがあげた親切に全く返してくれない。友達なんて全部嘘なんや。友情なんて小説の世界の話なんや」








学校の勉強は出来ても他人から受けた親切は忘れてしまい、損ばかりした気になるのである。忘れるのだからどうしようもない。基本的には頭が悪いと思う。学校の勉強は出来ても社会的頭は悪いのである。







父は文才もあった。確かに父はしばしば新聞に投書していた。父は正にスーパーマンであった。何でも出来たのだ。
勉強はもちろん、スポーツも万能で、趣味も完ぺきだった。百人一首の選手にもなったそうであり、事実、正月に行う家庭かるた会では、圧倒的に父がトップであったのだ。









正月には、家庭でトランプ大会もしていたのだが、どんな競技でも、例えばポーカーでも、七並べでも、常に父は断トツのトップだったのだ。囲碁も素人三殿で、チェスの代表にもなったらしい。要するに何でも出来たのだ。







しかしそういう人には欠点もあるのだ。出来ない者の気持ちが分からないのだ。父から見れば母はバカの代表だろう。常に上から目線だった。母は常に劣等感に悩んでいたのだが、上からしか見えない。他人の気持ちが理解出来ないのだ。周りの人を不幸にしているのだが本人は気づかない。それでいて自分は賢いと信じている。困った人なのである。






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まず父の方から、父の父、つまり私の祖父については父が時折語ったことがあった。何でも、相当高い地位にあったらしい。父が良く語っていた。
「中野家は凄い家だ。お父ちゃんのお父ちゃんは大変偉くて、凄く尊敬されていた。お父ちゃんは単なる医者であり、地位が落ちた。お前たちはさらに下で、この成績では中野家のものとは思えない。世代が下りるのに従って、落ちる一方だ」







多分、府会議員だったと思うのだが、昔の府会議員は相当の権力がなければなれなくて、請われてなれるそうだった。父の兄は父よりもずっと優秀であったのだが、病気で他界したそうだ。それだけに事実上の只一人の息子をとても私の祖父は大事にしたようだ。







東京に帝国大学が出来ると、やがて、天皇の所在地の京都にも京都帝国大学が出来た。
その後、父の父は猛烈に運動したそうだ。
「京都に帝国大学が出来て、どうして大阪にないのか」
「大阪にも帝国大学を作るべきである」







私の祖父の運動は彼が相当の地位もあったので、ついに認められて大阪にも大阪帝国大学が出来た。私の祖父はとても喜んで、父に言ったそうだ。






「大阪にやっと帝国大学が出来た。せっかく出来たのだ。お前はその大阪帝国大学に進んでくれ。お前の兄ならきっと入学できただろう。悲しいけれども、死んでしまった。お父ちゃんの希望を継いでくけるのはお前しかいない。医学部が良い。お前には兄のように死んでほしくない。今の時代ではいつ戦争が起こるか分からない。






例え、戦争になっても、医者は常に後方で治療するだけなので、死ぬことはない。万一、敵に捕らえられても、殺される心配はない。大阪帝国大学の医学部を卒業すれば、どこに行っても引けを取らない。何しろ帝国大学の医学部なのだから。兄の分まで長生きしてくれ」







実は、父は文才があり、投書などは常に掲載されていて、作家を志していたのだが、自分の父の強い思いに従わざるを得なかった。それで、忠実にその思いに答えたのだったらしい。実は医者と言う明確な地位があればむしろ、作家の早道ではないかと大人になって気づいたのだ。







実際、医者であり作家である人は多い。しかし、父はどうも医者になると作家の道を捨てることだと信じていたようだった。当時の私は父の言葉をそのまま信じていた。実は医者が作家であることが多いことに、その頃の私には分からなかった。自分の道を捨てて、親の言う通り素直に進んだ父を当時は確かに尊敬していた。






父の説明通りだったとすると、なんか知らないがとてつもない偉い家に生まれたのだろうか?
私は何の自覚もなく他の兄弟と共に、聞いていただけだった。只、他の兄弟と同じように父はとても偉い人なんだなあと素直にその部分は聞いていた。





さて、私の祖父は大変尊敬されていたのだが、死んだ時にはお葬式の時には訪問者は誰もいなかったらしい。父が時折口にしていた。
「人間なんて冷たいものだ。父が尊敬されていると、親しそうに近寄るくせに、地位がなくなると葬式にも来なくなる」








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 ここで、背景となる私の父母について説明してみたい。父母がもしも生きていたら、名誉棄損で訴えられるかもしれない。しかし、どちらも死んでいるのだ。訴えられる心配はない。しかし、或は兄弟達が父母に変わって訴えるかもしれない。私はそれに対してこう反論したい。








「私は気が狂ったのだ。そして、原因を追究しているのだ。これは他の精神病の人々の助けになるかもしれない。精神の病については種々の説がある。しかし、実際に半年以上、精神病院、もっとはっきり言えば気違い病院に入院している人達で後に記録を書いた人など恐らく初めてだろう。これは気違い治療の助けになるかもしれない。十分、社会に貢献できる。何しろ、精神の病に対して、原因に家庭環境を挙げている有力な説があるのである」







 そして付け加えたい。
「私が孤独でただ一人苦しんでいるのに、誰もそれに気が付かなかった。或は見て見ぬふりをしていた。私が成人したのちに気が狂った責任の一端は貴方たちにもあるのではないのか」






 万一、訴えられたら、そう反論したい。
 「お前の両親なんかには、全く興味がない」
 そう思われる方は飛ばして読んで下さい。しかし、昔はそんな家庭環境があったのか。そこで夫婦が出会うと、独特な家庭が出来るのだなあ。と、或は納得して頂けるかもしれない。








それはこれから結婚しようとする若い人々の参考にもなるかもしれない。
 家庭環境を語るにはその中心である両親の背景についての解説が不可欠なのである。






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 私は勉強も出来なかったし、取り柄など何もなかった。とりわけ運動は苦手だった。これには前述のように理由もあった。三歳年上の次兄が、私を外で遊ばせなかったのだ。次兄は幼児の頃から良く外へ出て、近所の友達と夕方まで遊んでいた。私が外へ出ると、次兄は私を連れて家に帰るのだった。







「お前がいると恥ずかしい。家で遊べ」
つまり、私は外へ遊びに行くことが出来なかったのだ。初めて幼稚園や小学校に行った時、他の子供達が誰かと親しそうに話しているのが不思議だった。私以外の人は既に友達がいて、私はなぜ一人なのか全く分からなかった。









何しろ、同年の子供は、私にとって全くの他人だったのだ。どう話して良いのか、接し方が全く分からなかったのだ。
次兄がなぜ私と一緒に遊ぶのが嫌だったのか?
多分、何をやっても自分より劣る弟の存在が恥ずかしかったのだろう。三年の差は大きい。










次兄は弟のことより、自分を仲間の中で低く見られたくなかったのだろう。
それ故、私は男の子に珍しく、体育の授業が一番嫌いだった。球技なども、同級生の殆どはどこかで習っていたのだろう。上手くできていたのだった。私は何をしても、初めての経験であり、良くからかわれた。










「お前は男のくせに、女より運動が出来ないな」
とりわけ、運動会では恥ずかしかった。何時も徒歩競争、当時で言う「走りあい」が常に最下位だった。運動会が近づくといつも頭が痛くなった。







「雨が降って中止になって欲しい」
毎年、毎年、それを祈っていた。次兄は逆に徒歩競争で常にトップであり、私を笑っていた。
「僕は早いのに、お前は何でそんなに遅いんや」
当時は何も言い返せなかった私だが、大人になった今だからはっきりと言える。







「それは全てあなたのせいです」
子供の時には、運動会の前日にはとても憂鬱だった。馬鹿にされると分かっている日々をどうして喜べようか。






そのように体育の時間が嫌でどうして学校を楽しめようか。友達もいない。友達とどう話して良いか分からなかった。学校の存在自体が嫌いだったし、先生も嫌いだった。




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