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実は日本の医療は先進国で最低だ








実に今もって不思議である。ドラマを見た時だっただろうか。多分他の兄弟は聞いていないのではないだろうか。時期が全く思い出せない。しかし、ポツンと言ったその一言は私を納得させた。
「やはりそうだろうな」
父が結婚相手の第二志望だったのだろう。








好きな人と結婚できずに、年ばかり取り、焦って父と結婚したのだろうなと自然に納得できたのだった。
何しろ母が結婚したときは二十九歳だった。当時としては余りにも遅かった。






子供の時の私は辛いことの連続だった。家庭も地獄、学校も地獄だった。今私は自分の父のことや母のことを分析しているが、これほど冷静に分析するのは初めてのことである。なぜなら私は自分がなぜ気違いになったのか、懸命に思考しているのだ。それには父や母の分析が欠かせない。恐らく誰もがそうであろうが、父や母のことなど分析したくないものだ。








美人の母がなぜブスの父と結婚したのかなどは、誰も分析したい人などいないだろう。私も書きながら辛い。しかし、私は自分が気違いになった原因を追究したいのだ。その為には辛いことも敢えてする。







美人の母がなぜブスの父と結婚したのかは、決して口にはしなかったが、子供の時には秘かに疑問を持っていたのだろう。厳しい家庭、存在目的が全く分からない学校。友達との話し方も分からなかった。








実は、小学校に初めて行った時にも、他の生徒達が仲良く話している理由が分からなかった。今はその原因が分かる。実は次兄は私が近所に遊びに行くと追い返していたのだ。
「治男がいると恥ずかしい」
そう言って、常に私を追い返していた。








だから私は普通の子供のように学校へ行く前に近所の子供と話す機会がなかったのだ。次兄がなぜ、
「治男がいると恥ずかしい」
そう思ったのかは、多分、自分より劣る弟を見せたくなかったのだろう。私は先生も嫌いだった。何よりも給食が大嫌いだった。私の育った頃は、戦後間もなくのこともあり、食べるものは余りなかったのだが、それでも給食は特に食べられなかった。








 小学校の担任の先生からは、常に怒られていた。学校の先生は私をねたんでいたのだ。私が医者の息子であるので、日ごろから良いものを食べていて、私がぜいたくで食べられないのだと思い込んでいたようだ。教師からは給食を残す私を次のように攻めていた。








「こんなごちそうが食べられないのか。余程贅沢な食事をしているのだろう」
 事実は全く違うのだ。今になって私は理解できる。私は初めてのものには舌がなじまないのだ。
大人になっても、名店の御馳走は全く口に合わないのだ。大人になり好きな女の子が出来ると、デートに誘う為に、名店を訪れた。例えば次のように誘った。








「○○店は凄い御馳走らしいね。でも、一人では恥ずかしいから一緒に行ってくれませんか」
 名店で好きな子を誘う作戦だったのだが、私自身は美味しいと思ったことは一度もないのだ。本当に私が好きな店はバーミヤンであり、王将であり、要するに庶民の味が口に合うのだ。









田舎に旅行するのは食事が楽しみだと言う人が多いが、私には食べられないのだ。自分でも不思議であり、偉い先生の「味の秘密」などの講演を聞いたこともあるのだが、それでもはっきりしなかった。要するに幼い頃から、食べなれたものしか口に合わなかったのだが、教師の目には贅沢な子供としか映らなかったようだ。ここでも、医者の子供であると言う理由で損をしていた。









 昔は卵が大好きだった。当時は卵が高くめったに食べられなかった。それでも御飯に醤油だけをかけて食べていた。父は倹約家であり、家で高いものなんて全く食べなかった。
 小学校でも誰にも話しかけられずに、授業も嫌いであり、給食は本当に私にとって残酷な時間だった。








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実は日本の医療は先進国で最低だ







しかし、今の私は父の欠陥は人の心が分からないことだと思う。今でもテレビでは特段の良い成績だった人達が何でも知っているような顔をして、得意げにしゃべっている。しかし、彼らの最大の欠点は普通の人の気持ちが分からないことだ。







例えば、彼らは分からない授業を聞く辛さなど経験したこともないだろう。彼らの多くは「分かりすぎる易しい授業を聞く辛さ」を経験していても、その逆の「全く分からない授業を聞く辛さ」を経験したことはないだろう。普通の人の普通の苦しさを決して理解できないのだ。








例えば舛添要一と言う人は私の一番嫌いな人だが、税金で贅沢三昧した人だ。税金を自分の為に使うことには一切抵抗感がない。本当に信じられない。知事になる前には散々良いことを言いながら、いざなると湯舟のように自分の為に税金を使う。しかも堂々と今もテレビに出て、
「私は法律を犯していない」
などと、平然と言う。










今もってテレビに出す方もどうかと思う。あんな人間を決してテレビに出すべきではない。もちろん、未曽有のコロナ問題の時には仕方ないこともあったのだが、それ以外で政治のことなど話させるべきではない。テレビでは、秀才達を特別視しすぎている。彼らは決して優秀ではないのだ。






話がそれてしまったようだが、私の父を想像するにも、あの舛添要一を連想して頂ければ分かり易いのではないかと敢えて話題をそらさせて頂いた。秀才達はとかく自分のことしか考えないものだ。父が正にその代表である。









殆どの日本人が戦争で死ぬことを覚悟していたのに、大部分の秀才達は自分だけが生き延びることを最優先にしていたのだ。当時の医学部は今以上に難しかっただろう。しかも、それを子供に自慢する。優秀な自分のことしか見えていない。他人がそれをどう見るかなどとは全く考えないのだ。








私は母に似たのだろうか。運動も出来ない。絵も下手だ。只、正直、舛添要一が決してハンサムでないように、父もハンサムとは程遠かった。私の顔は自分でハンサムなどと思ったこと一度もない。しかし、少なくとも父のようにブスではなかったと思う。母は、いわゆる美人だったと思う。子供心になぜ母のような美人が父のようなブスの人と結婚したのか不思議だった。







これは他の兄弟達も秘かに持っていた疑問ではないだろうか。もちろん、誰もそれを口にしたことはなかった。大人になった私には当然に理解できる。父の医者としての地位の高さと収入に惹かれたのだろう。母のような美人がブスの父を好きになるわけがない。お見合いで結婚したと言うのだが、良く結婚する気持ちになった。






只、たった一度だけ母が私に言ったことがある。
「好きな人がいた」
あれはいつの時だったのか。








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 ずっと後に、母が死んだ時には私一人が全く泣かなかった。涙は全く出ずに、自分でも不思議であった。今この手記を書くに至り、涙が出なかった原因が明確に理解できるのだ。母に全く愛されていなかったのだ。





 小学校も中学校も、友人もなく常に孤独だった。勉強などは全く出来なかった。と言うよりも、授業の時には常に何か空想の世界にいたので、テストなんかは全く出来なかった。常に空想の世界に逃げていたのだと思う。テストの成績や通信簿が悪いのを見て、父は常に母を攻めた。





 何しろ、父は勉強の天才だったらしい。父は北野中学、大阪高校、そして大阪帝国大学の医学部をそれぞれ卒業していたのだった。もちろん、昔の学制が違うのだが、今の、北野高校、大阪大学の教養部、そして大阪大学の医学部に進んでいたようで、相当の難関だったようだ。

 父は、私が余り分からない頃から良く言っていた。






「今の医学部なんか易しいものだ。昔では全ての秀才は誰もが医学部に進んだものだ」

 何でも、昔は戦争中のこともあり、大学に進めるものは全員が医学部を目指したそうだ。なぜなら、戦争中でも医者は前面に立つことは決してなく、常に後方部隊であり、死ぬ心配はまずない。戦争でけがをしたものを治癒する立場であり、後方にいながら地位は高い。






しかも、万一、敵に捕らえられても、殺される心配もなく逆に、

「こいつの命を助けてくれ」

と、請われて逆に尊敬されることもありうる。それは誰でも知っていることであり、それ故、誰もが医学部を目指したと言うのだ。





 当然、真意は分からない。しかし、戦争で死にたくないのは恐らく事実だろう。私の小、中学の頃は、父から随分何度もその話は聞かされていた。当時の大阪大学の医学部に現役で合格したのは父を含めて二人だけしかいなかったことを何度も聞かされていた。父はよく言った。






「浪人生は一年かけて受験勉強する。勝てる訳がない。それなら三年の一学期と二学期は最高の成績を取り、三学期には一度も学校に行かずに、受験勉強にまい進しようと決めていた。そして、たった二人だけしか現役で合格出来なかったのだ。やる気さえあればそこまで出来るのだ。御前達もお父ちゃんを見習え。今は秀才達も工学部や理学部に行く。お父ちゃんが通った頃の医学部とは値打ちが違う」





 何度も聞かされていたのだった。父が子供たちの成績が良くないことには、腹を立てていたことだけは間違いのないことだった。





 私は運動神経も鈍いし、取り柄など何もなかった。学校の存在自体が嫌いだったし、先生も嫌いだった。給食が大嫌いだった。ここでも父が医者であることが災いした。担任の先生は私が贅沢で食べられないと勝手に思いこんでいたのだ。実際には何の贅沢も父はさせてくれなかった。






只。私にはいくら空腹でも食べられないものが多くあったのだ。生まれつき偏食なのだ。しかし、教師は私が贅沢で誰もが食べているものを食べられないと思いこんでいたのだった。

実際には家で当時は御飯に醤油だけかけて食べたりしていた。

たまごなど簡単に食べることは出来なかった。

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実は日本の医療は先進国で最低だ







 数日後、中村さんの死体が発見された。私の思った通り自殺だった。私は思わず思ったことを口にした。
「ほら、やっぱり自殺や。ラジオでも責任感じて自殺したと言うてる」
 父の顔色が変わったのだ。私をひっぱたくと、
「何を生意気なことを言うんや。逃げられへんと思って自殺しんや。責任感じるような奴と違うわ。お前はそんなことも分からんのか」







 私は何度も叩かれて、なぜ叩かれるのかまったく理由が分からなかった。その当時の他の兄弟達は、おそらく無意識に父の性質を理解していたのだろう。父の言うことに正面から否定した兄弟達は確かに私以外に誰もいなかった。それでも、それは私が七十になった頃にやっと気づいたようなものだ。








幼い頃の私には、どうして父が私に対してだけ厳しいのか、全く分からなかったのだ。中村よねきちさんの名前は今でもはっきりと覚えている。
余りに昔のことなのでネットで検索しても出てこない。しかし、調べてもらえば名前に間違いない。私がテレビで報道される同じことを言いそれで父に殴られたことをはっきり覚えているからだ。






 父には自分に逆らう私が悪の塊に見えたのだろう。
 物がなくなると父はよく、
「治男が取ったんやろ」
 と言った。必死になって否定する私を突然ひっぱたくと、
「正直に白状すると許したんのに、嘘をつくのが許せん」
私は父が怖くて父のものを取ったことは一度もないのだが、いつでも私が疑われた。








よく世間では
「もう一度幼い頃に戻りたい」
そういう人が多いが私は一度もそう思ったことはない。もし生まれ変われるとしたら親の愛が感じられる家て゛生まれ変わりたい。只、正直もう一度生まれ変わりたいとは面倒くさいので思えない。私は自分のできることを精一杯して死んでいけたら最高だとは思っている。









出来れば若い人の為に日本の医療を変えたいと思いながらこのブログを続けるのが今の生き甲斐だろうか。笑わないで戴きたい。
 何度も何度も殴られた。痛さと苦しさと自分の話を聞いてくれない悔しさで、泣きじゃくる私を父に見つからないように、後で慰めてくれた姉の存在が唯一の救いだった。








確かに姉だけは私にやさしかった。しかし、今では姉もそんなことは忘れているだろう。私は今でも、兄弟の中では姉だけに親しみを感じている。
それに対して、母が私を助けてくれたことは一度もなかった。








母はいつでも父に従順で、
「お父ちゃんは偉い人や。絶対間違いのない人や」
「お父ちゃんに疑われるあんたが悪い」
そうしか言わなかった。






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64歳でガンになりました。その偽らざる経験を知って頂きたいのです。

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