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実は日本の医療は先進国で最低だ








 何度も何度も起こされて、
「どうして医者の家なんかに生まれてきたのだろう」
 そう一人でつぶやくことしか出来なかった。実際、起こされてその後で一睡も出来ずに次の日に学校かあるいは幼稚園へ行くこともあったのだ。






「寝ても起こされるのではないか」
そう言う強迫観念に取りつかれ、子供でありながら寝つきが悪く不眠症になってしまった。その資質は今も続いている。私は不眠症なのだ。






ガンになった時にも、阿保先生も石原先生も催眠剤などは使用しない方が良いと書かれていたと思うのだが、これだけは手放せなくなってしまっていた。大人になって気違い病院に入院することになった素地は、間違いなくこの時に植え付けられたものだったのではないだろうか。
 父は自分が権威ある家長でなければならないと信じていた人だった。









自分を尊敬し、自分の言うことを何でも聞き、従順に従う子供以外は必要ないと信じ切っていた人であった。
母が便気に落ちそうになった時に助けてくれた以外には、私の心の中には全く父や母に可愛がられた思い出はないのだ。





 子供心に、
「なぜ自分が生まれてきたのだろう」
 と、思うことはあった。しかし、自殺することは思いもよらなかった。逆にこのまま死んだら淋しすぎる。誰からも愛されず、誰をも愛さないまま死ぬのは嫌だ。そんな思いは強くあり、幼児だけにそれ程言葉では明確には思っていなかったのだが、そのような感じでいたことは確かに明確に記憶が残っている。死ぬことに対する恐怖感は強くあった。








いつか、誰かに愛されたい。いつか誰かを愛したい。自分で振り返っても悲しいほど思い詰めていたのだ。
 私はついつい思ったことを言うので、父の怒りを何度もかきたてた。例えばこんな事件が報道されていた。







 中村よねきちさんという老人が子供にわらび餅を売って生計を立てていた。ところが二人の子供がそのわらび餅を食べて、食中毒で死んでしまった。
 間もなく、その中村さんが行方不明になるのである。私は気の毒になり、思ったことを口にした。







「可哀そうに、自殺したんとちゃうやろか」
 父は間髪を入れずに言い放った。
「古い餅を売るような奴や。自殺なんかするわけないわ。警察が怖いから。逃げ回る卑怯な奴や」






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実は日本の医療は先進国で最低だ






当時の日本は本当に貧しかったのだ。高い外国の肥料は買えず人間のうんちが第一の肥料だったのだ。若い人に想像できるだろうか。
私の家庭のことに話を戻すと、後に妹が生まれると、妹は顔も可愛くて、皆に可愛がられていた。多分、妹に対しては私が一番冷たかっただろう。






幼かった私は自分だけが冷たくあしらわれるのに常に孤独感を抱いていた。妹に対しては恐らく嫉妬心も無意識に持っていただろう。只、当時はそんな分析もできる能力がなかった。只々、地獄のような実家であり続けていたのだ。






今の若い人たちに想像できるだろうか。尤も、便器に落ちた子供を助けたのは決して母だけでなく我が子に対しては誰でもしただろう。母の愛情がただそれだけで他には一切記憶が無いのは寂しいものである。






学歴コンプレックスの塊の母は父に盲信しその不満は実家に合わない私に鬱憤をぶつけていたのだ。私にとって母の愛情を感じたのは幼稚園の頃の私がトイレに落ちかけて助けてもらったことだけとは寂しいものであり、他に母の愛を感じたことは一度もなかった。父に盲信した母は父に合わない私を冷たくあしらうことで日頃の鬱憤を解消していたと私の今は自信を持って言えるし、二度と母に会いたくない。







話がそれてしまって申し訳ないけれども、この手記を書きながら当時は子供も大人の大きい便器で用を足して無理をして広げた足を閉じなければならなかった。その事実を知ってもらうことにも意義があるようにも思えてきた。
そうだ、今の若い人々にあの当時の日本の貧しさを表せるのは、今となっては私しかいないだろう。何も、経済発展したのは私達老人の貢献があるのだなどと恩に着せるつもりは全くない。








しかも、私自身は日本の経済発展に貢献したなどとはとても思えない。私は塾の一講師であり、むしろ、パラサイトではなかったかと反省しているくらいだから。日本を今のように経済発展させたのは確かに名もない無数のサラリーマンであり、私はそのおこぼれを貰っていたに過ぎないとしか正直思えない。だからこそ、言えるのかもしれない。







確かに今のように豊かになれたのは、私達世代の名もない無数のサラリーマンの貢献があったと言う事実を敢えて指摘させて頂いた。若者の不満も理解できる。
「私達の年金は将来貰えないのではないか」
そんな不満は若者からよく聞く。







しかし、私達の子供の時にはウンチするのさえ大変な時代だったのだ。恐らく私だけではないだろう。誰にも言わないけれども、ウンチの池に落ちた人はいた筈だ。何しろ、当時には至る所に便所で集めた池、これをこいだめと言うのだが、確かにあちこちにあった。







そんな時代に生まれ変わりたいと思う人はいるのだろうか。今の方が良いに決まっている。私はあの時代に戻りたいなどとはとても思えない。小さい子供がウンチをするたびに恐怖を感じる時代が良いとはとても思えない。恐らく今の若者がウンチをしたくてあの便所に入れば、出掛けたウンチも止まってしまうだろう。トイレ一つとっても、今の時代は素晴らしいほど良い。誰があの汚い便所で用を足す時代に戻りたいと思うだろうか。







確かにその一瞬は私を助ける為に、母は愛情を示してくれていた。しかし、その一回以外には母の愛情を感じた経験はないのである。母は父に盲従していた。父の言うことを天の声と思い込み、自らの意見を述べようとすら思えない人だった。すなわち、我が家に於いては父の声が天の声であり、それに逆らうことは犯罪であり、誰もが父の声を天の声として聞いていた。







唯一、私だけがそれを理解できずに、素直に思ったことを言っていた。私は我が家に於いては犯罪者だったのだ。
本当に、生まれてからの明確な記憶が父に激しく殴られたことである人はそうはいないのではないだろうか。ともかく激しく殴打されたことははっきりと覚えている。母は完全に父を支持して、文句を言った私をさらに叱りつけたことも覚えている。これが我が家での最初の明確な記憶なのだ。





 激しく殴られたのはその父が往診に行くとき一回だけだった。その後も何回も起こされた。しかし、決して文句は言わなかった。殴られると分かって、文句を言うほど馬鹿ではなかったのだ。




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実は日本の医療は先進国で最低だ





後に妹が生まれると、妹は顔も可愛くて、皆に可愛がられていた。多分、妹に対しては私が一番冷たかっただろう。幼かった私は自分だけが冷たくあしらわれるのに常に孤独感を抱いていた。妹に対しては恐らく嫉妬心も無意識に持っていただろう。只、当時はそんな分析もできる能力がなかった。只々、地獄のような実家であり続けていたのだ。






また、父は明らかに姉や妹を男よりもかわいがって育てていた。
「男は自立しなければならない」
 そんなことは小さい時から常に言われ続けていた。





父には私が最も粗末に育てられ、
「お前は生まれてこない方が良かった」
そう罵られることは何度もあった。母は私が幼児の頃には、私を可愛がっていたと人づてに聞きはした。しかし、私の記憶に残るようになってからは大事にされた覚えがないのである。








本当に全くないのだ。例えば、
「雨雨ふれふれ、母さんが」
に続く童謡の意味が私には全く分からなかった。雨が降ればお母さんが傘を持って迎えに来てくれて嬉しい、と言う意味の歌なのだが、私は雨がどんなに降っても迎えに来てくれたことなど一度もないので、意味が理解できなかった。







確かに、迎えに来ている他所のお母さんを見て、「羨ましいなあ」と感じてはいたのだが、私自身はその経験がないので実感として意味が分からなかったのだ。
このように実家について書くのは本意でないのだが、やはり気違いになるというのは相当の原因があるのであり、参考にして頂けたら有り難いと思い敢て書くのである。やはり親の愛は恐らく気違いになるのを防ぐだろう。







あー一度だけあった。しかし、これを書くにはすごく抵抗がある。背景も説明しなければならない。これを書くには私にとっては勇気がいるのだが、公平を期する為に思い切って書こう。ちょっと説明が長くなるのだが、今の若い人達には想像も出来ないだろうから、少し背景を説明させて頂く。昔はいわゆるぽっとん便所だった。






私が小学生の頃には、今のようなきれいなトイレではなく、汚くて臭い便所で用を足さねばならなかったのだ。
それは臭いので、家の外にあり夜中におしっこをしたくなると、戸を開けて便所に向かいおしっこをしなければならなかった。夜におしっこで目が覚めると、外の便所を目指す為に、暗い中でそっと明かりをつけて外に行くことは怖かった。






子供だけに大変怖かったことは覚えている。しかし、その時の恐ろしさはどう表現して良いのか、今もってわからない。
当時は大人の生活を守るのが大変であり、子供も大人用の便器に足をひろげて、ウンチをしなければならなかった。子供の私がウンチをするのは大変だった。しかし、ウンチをしたい時には仕方なく我慢していた。






その時にもウンチを終えて立とうと思った時に足を滑らせて、便器の中に落ちそうになった。私は必死になって両手を便器にかけて、
「助けて」
と叫んだ。母が慌ててやってきて両手を持ち上げて、足が便器に漬かっていたのを引き上げてくれていた。





便器の中のウンチまみれの私を当時にあった井戸の水をくみ上げて、私の足を洗ってくれていた。
「臭いな」
そう言いながらも、洗ってくれたのだった。私は何も出来ずにただ足を洗われるのを見ていただけだった。





確かにその時には、母に助けてもらっていた。当時は便器にたまったウンチやおしっこの塊の中に落ちていたら、死んでいたのではないだろうか。
確かめようがないので分からないのだが、当時の便器にはウンチやおしっこが池のように溜まっており、その中に落ちていたら、息が出来たのだろうか。







深さがどれ程あったのか、全く分からない。便器の中を見るとウンチとおしっこでできた小さい池のような中に無数のウジ虫のようなものが動き廻っていた。見るのは嫌だったのだが、怖いもの見たさのように、時々、下を覗き見ていたこともあった。





その気持ち悪い池の中に落ちてしまったのだ。気持ち悪いのだが、その時にはそんな感情もなくなり、必死になって便器に両手にかけて助けを求めたことは、確かに私の記憶の中にある。
確かに母にしかあの汚い仕事をしてくれた人はいなかっただろう。





母の愛を確かにその一瞬は感じていた.母でなければ洗ってくれる人はいなかっただろう。赤の他人なら、助けて引き上げることは出来ても、洗うことは出来なかったのではないだろうか。




まだまだ日本は貧しかったのだ。ちなみに当時は便器にたまったウンチやおしっこの塊をひしゃくでくみ上げてしかもお金を出して購入してくれるお百姓さんがいた。野菜の肥料にする為であった。




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大人になって長兄がぽつんと、
「お父ちゃんにクラブのようなところに連れて行ってもらったことがある」
と言い、その時には次兄が、
「羨ましいなあ。僕は一度も連れて行ってもらったことがない」
そう言っていたのを覚えている。







そのこっそりとした打ち明け話を聞いた時には、
「やはり、父は長兄を大切にしているのだなあ」
と、納得していたのだった。





もちろんそれは大人になって初めて聞いたことであったのだが、子供のころから父が長兄を特に重視していたことだけはおぼろげながらも分かっていた。
昔の道徳を重視していた父は、長兄は大事な跡取りであったのをぼんやりと理解していた。
次男はそのスペアであったのだろう。







私は必要とされなかったのではないだろうか。実際、父は常に言っていた。
「長幼の序と言って、物には順番がある。年少のものは上にものに対して常に敬意を払わなければならない」
正直、全く尊敬できない次兄は私をいじめ続けていたのだが、父は私しか怒らなかった。







私は常に虐待され続けて育ったのだ。次兄は男通しの対抗心からか、私には常に冷たく冷酷な扱いを与え続けてきた。一つには年の差もあっただろう。長兄は私より九年も年上であり、手の届かない大人であった。
長兄は年下の兄弟達にはあまり関心もなく、確かに大人の世界にいたのだろう。次兄は私より三年年上だけで、年齢だけで尊敬できる程には離れていなかった。








次兄は或は無意識に私の態度に腹を立てていたのかもしれなかった。そう言えば、次兄が、
「僕はお兄ちゃんを尊敬しているのに、治男は僕を尊敬していない」
そう何度か口にしていた。私は心の中だけで、
「どこの部分を尊敬するのですか」
と、秘かに子供ながら思っていた。







それを口にすればひどく殴られるのは子供なりに分かってもいた。決して口にはしなかったのだが、態度には出ていて、それが次兄の怒りを増したのかもしれなかった。ともかく、父は年齢順に大切にしていたのだった。私はやるせない立場に常に追いやられていたのだった。







実際、ずっと後で、父母も死んだ後で、
「確かに俺はお前に冷たかった」
そう認めたことがあったのだ。しかし、それは謝罪ではなかった。ぽつんと口から出ただけで、実際にどれほど冷酷なことをしたかは子供のこともあり、決して覚えていないだろう。いじめはされたものだけが覚えているものだ。






仮に後から謝罪されても、幼かった私には何の慰めにもならなかった。三歳の年の差を父母の影響もあり、次兄は私を支配するのを当然視していたのだろう。




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